浜松駅前広場はよく整備されていて駅ビルの地下通路から上ると、半円形のバスターミナルに停留場が並び、朝8時ごろ、通学ラッシュ時にあたって大量の学生生徒さんが、次々にやってくるバスで各方面へ手際よく運ばれていきます。遠州バスの待合所兼案内所もあってサービスは
良好です。
案内所にもバスの中にも、「Nice
Pass」の説明がやたら目につくので注意してみていると、カードを器械にさっと当てるだけでOKのプリペイドカードでした。バスカードやオレンジカード
のように入れてから出てくるまでの、あの一瞬ですが、ひょっとして出ないのではという恐怖感がありません。
これは、各地で普及しているのでしょうか。
便利といえば、19日に東京でタクシーに乗り、あいにくと私も運転手さんにも小銭がなく、どこかコンビニエンスストアでもあればと走って貰っても、こういうときに限り見つからないで困っていたら、お客さんカード持っていますか?とのこと。何のことはないタクシーもカード支払いができる世の中になっていたのですね。
ただし、レシートが出てくるまでに時間が掛かるし、サインも必要です。タクシーも「Nice
Pass」にしてくれたら、サッとかざしてサッと降りる、交通渋滞解消に何パーセントか貢献しますけどね。
さて、航空自衛隊浜松基地の見学は、自衛隊広島地方連絡部を通じてお願いし、9時に正門へ来るように指示を受けていました。また、あらかじめRENATさんに基地までの交通手段を教えてもらっていたので、
遠州バス和合西山行きに乗って約25分、スムーズに正門前に着きました。
正門と構内の受付で二度同じ用件を述べ、小さな待合所に座っておりますと、浜松基地第1航空団司令部監理部渉外室広報班の逢坂(おうさか)悟さんがお見えになり、名刺交換をしました。
広島の地連で申し込んだときは、ちょうど団体の見学が予定されていたので、その中に加えていただけば団体秩序を乱さないようについて歩きますと約束していたのですが、そんな気配はなく、1対1
の応対でした。しかも逢坂さんから「佐伯さんのホームページは見ていますよ」とうれしいお言葉が出ます。
1空団広報には、これまで少々きついメールも出しており、この際丁重にお詫び申し上げましたが、「いえ、あの辛口がいいんです」と。ありがとうございます。
見学コースは、まず、陸軍爆撃隊発祥乃地碑をみて、昔の隊舎を利用した資料館へ入ります。
浜松基地資料館
基地ホームページには数千点の資料とありますが、ほんとうに80年前に飛行第7連隊が設けられてからの歴史が写真や遺物でびっしりという感じで
す。半日やそこらで探索できるボリュームではありません。こういう場合は、初見でざっと見て歩いてポイントを覚えておき、もう
一度訪れて重点的に見るということをしないとだめですね。
やむを得ないので、歴史的価値があるようだと思えてもパネル写真や図版はパスして、とにかく航空機に関する実物の写真を撮ることに専念しました。その中から幾つか載せておきます。
初風エンジン |
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空冷倒立直列4気筒で、わずか110馬力のエンジンです。
戦後国産第1号の立飛R-52にのせた同系統の神風でも150馬力でしたから、いかにも小さいです。
これを搭載した陸軍キ86 4式基本練習機は、昭和18年から日本国際航空工業鰍ナ製作され、陸軍の初等練習機としては最も多い1030機も生産されていますので、
初風エンジンも当時ではかなりポピュラーであったと思われます。
羅針盤 |
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左側の九七重羅針盤とあるのが、調研コーナー41で問題にした赤石岳墜落機関連です。下記回答のように明確に否定され、逢坂さんも同じ答えを繰り返されました。
浜松基地HPをご覧いただきましてありがとうございます。ご質問の件ですが資料館で調べましたところ、
第1点
赤石岳から残骸を撤去した事実は確認出来ませんでした。またどこの部隊が作業しどこへ運ばれたかも判りませんでした。
第2点、
資料館には石碑の情報はありません。
第3点
資料館に展示してある九七式重爆の羅針儀は、群馬県に住む元62戦隊の方から寄贈された物です。寄贈者が何処で入手したかは記録が残っていないので判りません。
以上です。 航空自衛隊1空団広報班
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赤石岳墜落機残骸の行方は未だに謎のままですし、旧軍のエンジンといえば、最近複数の方からの情報で、松島基地格納庫の改修工事でどうも97式重爆のものらしいエンジンが発掘されたということです。重爆の基地であった浜松に関係がありそうに思いますので、なにか分かれば教えてほしいですね。
左上のように、プロペラの収集品がかなりあります。佐貫先生がご存命なら、引っ張って行って細かにご教授願いたいところです。今どき、こういうものに興味を持つ先生はいないでしょうね。もっとも佐貫東大学生の時代もプロペラを教える教授はいなかったそうですが。
左下のボスの文字ですが、「川崎‥プロペラ T-58090 三型一号 BMW 二型 昭和9年8月 川崎造船所航空機工場」というように読めます。また、
所々の剥離具合からみて、セルロイド皮膜の被包式プロペラではないかと思われます。各務原市白山神社に奉納されているプロペラ岐阜県A4412と同系かもしれません。
いずれにしても、プロペラは写しにくくて、まともなアングルやシャープなものがひとつもありません。どなたか1本ずつじっくりと写してきて頂けませんかね。
零戦の木製落下タンク(間違っていたらご免なさい)や秋水の液体燃料を保存する容器も珍しいですが、ここの展示室で是非とも紹介したいのは、
西村コレクションです。
日本の歴史をもの語る航空機がオール50分の1のソリッドモデルで約190機ずらっと並んでいます。
西村得之という方が十数年かけて集めた資料をもとに専門家に製作させたということで、プロペラのピッチ方向に至るまできわめて念入りに工作されています。
名古屋航空宇宙館にあった田中祥一さんの名機百選(25分の1)に匹敵するものだと思います。浜松基地にはわるいですが、
基地から出して、もっと気軽に見られる場所で常時一般公開
ということになれば、コレクションの価値が倍増するだろうにと思います。手っ取りばやく浜松広報館エアパークなど如何なものですかね。
F-15Jの整備見学
資料館の次はF-15J整備格納庫の見学です。この日は#919、#917、#873の3機が入庫していました。尾翼には第1術科学校のマークを描いていますが、一線部隊の機体でオーバーホールの時期が近づいたものを持ってきて整備訓練に当てるのだそうです。
つまり、一線部隊→第1術科学校整備訓練→三菱重工業IRAN というコースです。
整備訓練中の第1術科学校所属F-15J |
富士T-7も配備されている |
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用途廃止の機体
ノースアメリカンT-6G 52-0074 |
ロッキードT-33A 71-5254 |
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ロッキードT-33A 61-5207 |
富士T-1B 左25-5855 右25-5854 |
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浜松訪問の大きな目的が用途廃止機の消息調べで、ここに載せた4機を確認しました。平日のため短時間でこの場所へ往復しなければならないため、写真を撮るだけで精一杯でした。T-6とT-33Aはまあまあの状態で、希望すればどこへでも展示可能という印象で
す。
T-1Bのそばへは寄れませんでした。ゴールデンウイーク後の情報では、両機とも日の丸や番号がグレイで塗りつぶされたそうですから、そろそろ解体売却処分の運命でしょう。
なお、基地内を歩いている間にも、ボーイングE-767早期警戒管制機が飛び立ちましたが、雨の中で私の腕では撮影不能でした。
最近マーキングを変えているそうです。
第1航空団の栄光は‥
以前は、浜松北基地と南基地に別れて、1本の滑走路を共有していました。今は浜松基地として統合されています。随分広いように感じますが、陸軍航空隊時代の飛行場からみると半分の面積になり、
かなり手狭になっているそうです。
南地区だけでの感想では、航空自衛隊第1航空団という輝かしいネーミングの割には、建物の多くが術科学校であり、実戦部隊も警戒管制航空隊ということで何となく違和感があります。
歴史の有為転変の中での一こまに過ぎないとは思います。
しかし、航空団発祥の地として、源田実さんたちが希望を持って空に舞い上がり、あるいはブルーインパルスを生み出した浜松第1航空団の面影を、すくなくとも南側正門地区で見出せないのは淋しいです。
終わりに、自衛隊基地内に設けた店舗としては、ここだけというセブンイレブン(結構売り上げが多いそうです)を横目に見て、逢坂さんと別れたのであります。
非情にも基地を出たところで雨足がつよくなりましたが、浜松広報館まで歩いて10分と聞いていたので、もう少しの我慢とばかり、車のしぶきをよけながら歩きました。
しかし疲労の限界にきていたのでしょうか、30分近くかかりました。
浜松広報館の1階から3階までと展示格納庫を見るにはみました。でも、航空史探検博物館の広報館ページと
、解説をお願いしているねこまた重工さん以上の発見はありませんでした。
一番見たかったF-86Fの操縦席が立ち入り禁止で、それでも
ロープを寄せてもらって写真を撮りましたが、なにやら嫌な顔をされ、意思が通じそうもないのであきらめました。F-86Fのネームプレート探しはお預けです。
3階喫茶コーナーでは、軽食を食べながら滑走路の観察ができます。この時はT-4が着陸して北地区へタキシーしていったくらいで閑散としていました。
喫茶コーナーもウエイターが暇を持て余していましたよ。
同じく3階ライブラリーには、各地連の新聞が集められており、丹念に読むと思わぬ発見があるはずですが、短時間では見きれませんでした。航空関係や戦史ものの単行本と雑誌もかなり揃っています。ただし、私が座っていた40分間に、入ってきたのは1人だけでした
けど。
浜松広報館エアパークは交通の便がわるいです。マイカー以外では行かない方がいいと思います。それを骨の髄まで感じながら雨の中を20分歩いて最寄のバス停へ、そしてJR浜松駅へと帰り着きました。
昨夜食いそびれたうなぎを駅の食堂で食べ、地下のマーケットで蒲焼の土産を買い、下りのひかりへ乗りました。運悪く、大声高笑いの8人連れのおばさんの近くの席になり、こういう時はビールを飲んでも眠れないですね。
ブスデブ御一行メ!と腹の中で憎まれ口を叩いているうちにお互いに名古屋で下車、ブスデブ御一行サマはホームを降りていきました。
JRのジパングクラブ会員になると、東京から浜松途中下車でも広島まで総運賃が16,610円です。これは羽田〜広島のまともな片道航空運賃26,300円の約6割です。だから
飛行機にする時は全日空の超割などを利用せざるを得ないわけです。ジパングも超割もどちらも顧客サービスであり、とにかく安いのは歓迎ですが、まずは「安全」を下敷きにしたうえでのサービス競争ということに徹していただくようお願いしておきます。
さて、名古屋でのぞみ号に乗り換え
、今度は静かな車内で熟睡し、4月20日午後8時雨も上っている広島駅へ軽くなった財布に反比例する大量のヒコーキ情報を土産にして、無事到着しました。
友情に感謝します
オーソドックスな観光案内的旅行記を書く能力はないので、佐伯流の独善的な見方考え方でここまで書いてきました。
お読みいただきましたら、せめて一言でもご感想を寄せていただきたいものです。叱声、もちろん謙虚に受けます。面白かった等々の感想、多大の喜びで受け止めます。
終わりに、お会いしたすべての人々にお礼を申し上げます。
会わなければならないのにスケジュールその他の関係で連絡できなかった人々にはお詫びを申し上げます。
しかし、無形有形の友情のおかげで多くの土産を手にすることができたのです。航空科学館裏の格納庫へ行けたり、図書室の木村秀政文庫を調べたりできたのも、1年前に訪問したときにshadowさんの導きがあったればこそです。あれがなかったら、同館へ3回もお邪魔することはなかったでしょう。
これは、ほんの一例に過ぎません。もう一度すべての方に感謝します。
完