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ヒコーキマニア人生録・図書室 その53

《旅行記》

 エアロラ ボYS-11内覧会報告と武蔵野よろめき紀行 その

                               

4の1 西武多摩川線白糸台駅に到達するまでのこと
4の2 調布飛行場までの難行苦行
4の3 私説・調布飛行場 そして調布のラブホテル改造の宿まで
4の4  ベルハンドクラブのパイパー PA-46 JA4060が調布飛行場南の住宅街に墜落

                                

その4 2015年5月25日 調布飛行場 Propeller Cafe  武蔵野の森公園

4-1 西武多摩川線白糸台駅に到達するまでのこと

  羽田を済ませて、いよいよ思いつき旅行の武蔵野に足を踏み入れました。まずは調布です。

 横浜のJR鶴見駅で調布のことを知らない駅員に尋ねたのが間違いの始まりで、正しくはJRで品川経由新宿、新宿から京王線で調布へ向かうべきところ、川崎からJR南武線に乗ってしまったのです。 よって、立川経由で調布飛行場へと向かう羽目となりました。

 暇な人は、あのあたりの路線図を見てください。

 間違えて南武線に乗ったのなら、せめて終点立川まで行かずに、分倍河原(ぶばいがわら)で京王線に乗り換えて飛田給へ行けば苦労は無かったのです。

 知らずに立川で中央線の特快という電車に乗り、調布という駅はないので三鷹ならば何とかとなるだろうと降りて、南口の小田急バス案内所で尋ねると調布飛行場行きは1日に2本だけですと、うへっ!

 駅へ上がって近郊路線図を見ると、武蔵境駅から西武多摩川線というのがあって、昔の調布飛行場陸軍引込線があるではありませんか。そうかというので、中央線各停で武蔵境へ引き返し、西武鉄道の2両連結の乗客と相なったのであります。



西武多摩川線是政行き電車


武蔵境駅を出るとほぼ直線の軌道が続きます 陸軍が突貫工事で掘割を造らせたのでしょう
  


       分岐して途切れているレールの先が↓調布飛行場への支線
       だったのではないでしょうyか。調布飛行場の移り変わり参照

       


 白糸台駅に到着

 後述しますが、この白糸台駅でなくひとつ手前の多磨駅で降りていたら、調布飛行場の西北側にある武蔵野の森公園の管理事務所側へ直線で行けたのであり、時間も労力も大幅に軽減できたのでした。

 しかし、勘が狂いっぱなしの頭では、白糸台掩体壕の記憶を頼りに飛行場へは歩いていけるものと判断し、白糸台駅に降り立ちました。そして、駅員に「調布飛行場へ歩いていくには?」と問い、この人大丈夫なのかいなという顔をされながら、一応は道順を教えてくれたのであります。

 それが難業苦行の第2弾でありました。

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4の2 調布飛行場までの難行苦行  4-2

  ここで、大変見難いですが、この日調布飛行場とその界隈を一周した地図を添付しておきます。一部、バス乗車区間もありますが、歩行距離にして約6.5キロメートルでした。夜、京王調布駅前の居酒屋を歩いたのを足して、万歩計が2万を超えたのも当然の成り行きでした。

 白糸台駅で、この人大丈夫なのかいなという顔をされながら、一応教えてくれた道順で歩き始めたのですが、その頃からおなかの調子が悪くなり、上図の「トイレを借りたコンビ二」まで何とか我慢してたどり着き、ここできれいさっぱり腹を空っぽにさせて貰いました。

 それだけではお店に悪いので、暖かいお茶のボトルを買い、水分補強をしながら、甲州街道に出て巨大な榊原記念病院や味の素スタジアムを左に見ながら歩きました。榊原記念病院を過ぎたところが府中市と調布市の市境でした。


 AJINOMOTO STADIUMは、補助競技場や駐車場などたくさんの入り口がありましたが、このメインゲートは歩道橋上にあり、エレベーターで交差点を渡ることができました。
 付近にはここを拠点とするFC東京の施設があり、府中と調布のいたるところに応援のバナーがぶら下がっていました。勿論、我輩はサンフレッチェの地元民ですからそんなものは写しません、が、↓にはカメラを向けざるを得ませんでした。Royal Hostじゃありませんよ。車道上の標識です。

 右下の国道標識に日本橋まで26kmとあります。神宮外苑から往復するとちょうど49.195kmか。この折り返し点は味の素スタジアムが活用できて何かと便利ですが、肝心のスタートゴールの国立競技場は桝添・下村バトルの様相、他人事ながら行く末が心配なことではあります。


 さて、ここを更に東進して、そろそろ飛行場が見えるはずだがと思いきや、頭上を小型機が飛んでは行くものの、一向に見えてこず、市営住宅などがある街区に入って聞くと「歩いていくんですか?」と怪訝な顔で教えてくれ、しばらく歩いたら浄水場前というバス停があり、どこ行きであろうと乗ってしまえという訳で、乗ってから尋ねて大沢コミニュティセンターという所で下車を指示されました。

 バスを降りても、ターミナルビルまではまだ難行苦行が続きます。しかし、そのお陰で、調布飛行場へ来ればこれだけは必見の遺跡にめぐり合いました。米兵が京の文字にいたずらをした門柱です。

 

 13年前、藤原洋さんに連れてきてもらった時と門柱そのものは同じでしたが、歩道が美化され、説明板が設けられていました。
 武蔵野の各都市は、歩道緑化はつつじと決まっているようで、この時期すでに花の盛りを過ぎているので、どこを歩いてもあまり印象がよくありません。花ガラの掃除までなかなか手が回らないですからね。   門柱のその他の写真はA3634-1


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 4の3 私説・調布飛行場 そして調布のラブホテル改造の宿まで   4-3

 8時半に鶴見のホテルを出てから4時間、お昼を過ぎてようやく予定の調布飛行場にたどり着きました。まずは、場内の駐機の撮影かたがたプロペラカフェへ向かいました。 

プロペラカフェ正面

      
 入るとまあ賑やかなこと‥ 月曜日なのに、いつもこんなに賑やかなの?と店員に聞きましたら、昨日の運動会が中止になってその替わりの遠足らしいですと。忙しい店員にせかされて、腹具合のよくない我輩は450円のジュースだけを注文しました。でも、飲食が主体ではございませんで、ガラス越しの隣のベルハンドクラブの機体と前の滑走路誘導路を走る機体の撮影が目的ですから、嫌な奴と思われたことでしょう。

 そうまでして写した写真はターミナルビルから写した小型機などと共に調布飛行場内ベルハンドクラブに掲載済みです。

 ここを出て共立航空撮影株式会社のハンガー前のエプロン横を通ると、写したい機体がずらりです。金網越しにカメラを構えたら、早速軽自動車が来て、写真はターミナルビルの2階で写してくれと柔らかくご指導を受けました。確かに廃駐車場は立入禁止になっていますが、写真ぐらいは撮らせてよさそうのものよと思いましたし、食事を終えた幼児たちが立入禁止も何のその母親たちと走り回っておりましたがな。


調布飛行場ターミナル

調布飛行場ターミナル前景


 

 1年以上経ってもまだ「祝」ですか?
 経緯はご承知のように、全日空が羽田からDHC-8-300で三宅島に飛ばしていたのを、機材更新で-400(Q400)にすると、三宅島の滑走路延長が必要になるため、それよりはというので都と国がドルニエ228の購入費を新中央航空に補助して、調布〜三宅島線を開設させたというわけです。関係者の「祝」の気分が長続きしているのも分らないではありませんが‥。

 その新鋭JA35CA(2014年1月登録)のドルニエは、ここに滞在中は見ることができませんでしたが、JA31CA、32CA,、34CAの3機は写すことができました。調布飛行場内ベルハンドクラブに掲載

 それらが到着して再び離島へ向かって飛び立つまでの時間を、給油や機器チェックとともに、頭の下がる作業を拝見しました。当たり前の手順とはいえ、真冬や真夏の苦労が偲ばれます。

   


陸軍調布飛行場 飛燕掩体壕

 ターミナルには、警官が二人と警備員室のガラス越しににかなりの人数のガードマンが居りまして、乗客でもない佐伯の行動を胡散臭そうに監視しています。こういう時は、遠路広島から来て写真記録を残したいのだと名刺でも出しておくべきなのですね。下痢腹に水分補給のみで歩いてきた頭では思いつきませんでしたが。
   ということで、監視の目を背中に感じながらターミナルを後にし、武蔵野の森公園へ向かいました。目的は、飛燕の掩体壕ですが、大沢1号掩体、大沢2号掩体、玉石張りの水路ともに調布掩体壕のページに載せてある状態と変わっていませんでした。掩体壕は厳重に囲いがしてあって、なにやら近づきがたい雰囲気が漂っているような感じを受けました。


地震に遭遇

  そうしたら地下に眠る英霊が、呼びかけてくるように、ここで地震に遭遇したのです。遭遇した場所をRBOさんが13年前に空撮した写真で説明します。武蔵野の森公園の中の小高い丘の斜面で、疲れた足腰を休めている時でした。


 

 8秒くらい続いたでしょうか、尻の下で直接地面が揺れるという経験は生まれて初めてでした。 気象庁のデータによると発生は14時28分、震源は埼玉県北部でM5.5 震度5弱で、調布あたりの震度は3ということでした。 赤い屋根の東邦航空格納庫では、すぐに人々が出てきましたが、揺れが続く気配はなく、しばらくして空港事務所の軽自動車が点検のため滑走路に入りましたが、全く支障は無かったようで、定期便も間もなく発進していきました。

     撮影時刻14:25 (カメラの時刻設定は正しいので、上記気象庁発表の発生時刻はミス表記だろう)
   
    撮影時刻14:32 滑走路へ入る空港事務所の車
   

    撮影時刻14:36 地震後の1番機が誘導路から滑走路へ入る
  


ジャムコと東邦航空

 さて、長居は無用かと腰を上げましたが、調布市内のホテルへ行くにはどうたどればいいのか、確かこの公園に管理事務所があったはずと、ともかく西を向いて歩き、東京外大のグランドの所から東京天文台の山の方を振り返ってみたりしました。

・ 東邦航空

 東邦航空の格納庫は、既に地震などどこ吹く風で作業が再開されています。

・ ジャムコ
 食品会社みたいな表示の格納庫には、一抹の哀れを感じました。

一抹の哀れの理由

 2枚の写真をみてください。RBOさん提供の47年前の空撮と35年前に訪れた時の同じ建物です。

 

 

 伊藤忠航空整備株式会社がビーチクラフト社の援助で建設したもので、調布飛行場の米軍管理下もしくは返還直後に建設されたものと思います。ビーチクラフト系を始として数々の輸入中小型機を日本国内仕様に整備して送り出してきたこの建物は、第一級航空文化財に匹敵します。

 航空遺産継承基金さん、歴史を調べて検討してみたら如何ですかな。

 

 


Propeller KitchenとCaffe & Bar Aeroporte

 管理事務所は、公園の西側にありました。親切な女性職員さんがわざわざ表に出てきてくれて、バス停と電車の駅を教えてくれました。東京外大前のバス停の時刻表では待ち時間が長いので、再び西武多摩川線に乗るべく、多磨駅を目指しました。

 そこでPropeller KitchenとCaffe & Bar Aeroporteに出会った訳でありますが、既に下記で紹介済みなので、ここでは省略します。
  西武多摩川線多磨駅前 (東側)プロペラ キッチン (西側)カフェ & バール アエロポルト 




多磨駅から京王線経由で調布の宿へ

 Caffe & Bar Aeroporteでコーヒーを飲み、朝食以来の食べ物であるケーキを腹に納めましたが、頭の変調は治っておらず、又もや無駄なコースで時間と体力を費やしました。

 多磨駅から次の白糸台駅まで乗り、掲示板に沿って京王線武蔵野台駅まで長い距離をとぼとぼと、武蔵野台から調布駅までは10分足らず、駅南口の昔のラブホテルをビジネスタイプに改造した宿にやっとたどり着きました。(シングルの部屋なのに、セミダブルベッドに枕が二つある、明らかにラブ兼用です)

 ひと風呂浴びて、痛む魚の目の薬を買いがてら北口の繁華街へ出てみて驚きました。地上にあった調布駅は更地になっています。だから南口と北口は駅構内に入ることなく地平面で往来できるのです。

 そこで、北口のバス停を観察しましたら、何のことは無い、ここから調布飛行場ターミナルへも多磨駅にもバスで直行できるのでした。

小田急バス

京王バス


 実は、ひと風呂浴びたあと繁華街へ出て、魚の目の薬を買い、居酒屋で一杯飲む前に、Propeller Kitchenにサングラスを忘れてきたことに気付いたので、この京王バスを使って多磨駅まで往復していたのです。片道20分くらいでしょうか、巨大な榊原記念病院の構内へ寄って正面玄関そのものがバス停になっているなど、バスの最前席に坐った田舎者には何かと珍しい風景に出会います。

 というわけで、武蔵野よろめき紀行第1日は、居酒屋で飲んだ酒(どういうわけか灘の澤の鶴)とともに更けていき、その頃には下痢腹のこともすっかり忘れていたのであります。      


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N226

ニュースフラッシュ226 掲載15/07/27

ベルハンドクラブのパイパー PA-46 JA4060が調布飛行場南の住宅街に墜落

 




JA4060 撮影2015/05/25 ベルハンドクラブ プロペラカフェより 佐伯邦昭 

 

 

 2015/07/26(日曜日)11時58分に調布飛行場から大島空港へ向かったたベルハンドクラブのパイパーPA-46-350P JA4060は、離陸直後に飛行場南の調布市富士見町1丁目の住宅街に墜落炎上しました。機内の5人のうち2人、巻き添えの住宅で1人の計3人が死亡し、住宅1棟と自動車3台が全焼、8棟に被害という悲惨な事故でした。

 個人的なことで恐縮ですが、私は、ちょうど2か月前に武蔵野よろめき紀行で、墜落地点のすぐそばを通っており、かつ、ベルハンドクラブのプロペラカフェでJA4060を撮影しました。この残念なニュースをひしお感慨をもって受けとめています。

テレビニュース画面より

 

墜落までの飛行コース


墜落地点と2015/05/25の自分がたどったコース


 


事故機の経歴

  PiperPA-46-350P c/n4622011 N9152B 
1989/05/06 JA4060登録 日本フライングサービス 定置場竜ヶ崎飛行場
1989/08/08 貴公倶楽部 定置場竜ヶ崎飛行場
1989/10/11 ベルハンドクラブ 定置場竜ヶ崎飛行場
2015/07/26 調布飛行場を離陸後に墜落

撮影2002/07/02 佐伯邦昭

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以下 ニュースフラッシュ226 へ続く NN226

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