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航空人生録・論文 掲載21/07/17
更新21/11/21

  

 故 森脇医師 遺稿                                                                                                              

「名古屋空港/小牧基地」の写真記録について 丹羽 八十


 

「名古屋空港/小牧基地」の写真記録について 
  民間機その2 民間固定翼機編


全体の目次

1, 周辺状況

2,  民間機
    その1 森脇さんが捉えた民間籍ヘリコプター紹介
         レシプロエンジンヘリコプター
         タービンエンジンヘリコプター
 
    その2 民間固定翼機  〜当ページ〜
         単発民間機
         双発民間機
   その3 国内エアライン 
    

3,外国籍民間機

4,外国籍軍用機


その2 単発民間機編、 JAレジの若い順に紹介します。

 
戦後小型機登録1号機、JA3001, Cessna 195を34滑走路エンドでとらえた貴重な1枚。この当時、新聞各社機は中日新聞社格納庫前に駐機できる約束があった。


 違う撮影日で朝日新聞社所有のJA3007, Cessna 195も飛来していた。常駐の羽田では写せない近撮が名古屋空港では可能だった。


 地元、中日新聞社が所有していたJA3011, Piper PA-20「白鳩」は、現トヨタ自動車元町工場になる前の旧飛行場へグライダー曳航で着陸している。


 産経新聞社にもいて、日東航空が所有していたJA3043, DHC-2 ビーバー



 NASが運用していたJA3052, Cessna 170Bには手書きで「神戸商店」と大書している。この当時、空中から宣伝ビラを撒く事が出来てた時代


 日本には1機しか在籍しなかったJA3057, Ryan 205 Avionは毎日新聞社が運用していた。



 JA3078, PA-20-135は「日本飛行連盟」が運用していた。飛来は大変珍しい。



 中日新聞社所有のJA3097, DHC-2-3「新鷹」の現役だった時代の画像。
 今は本社のエントランスで余生を送っている。


 兎に角、ありとあらゆる機種が飛来する名古屋空港だったが、これも珍機中の珍機に違いない。
 JA3098, FUJI LM-1。言わずと知れた陸自向けLM-1の初号機である。


 新しもの好きの朝日新聞社が運用していたJA3110, Beechcraft H-35のV尾翼は新鮮な驚きを感じさせた。
 撮影された翌年には事故を起こし抹消されている。


 日本大学が造ったJA3133, N-58も名古屋空港へ飛来した。
 普段は通らないW-1誘導路まで来ている事でもトラフィックが少ない証拠。
 その背景に映っているはアラートエリアで待機中のF-86Dが2機!


 名古屋空港で開講していた「青山飛行学校」が所有していたJA3152, Cessna 120 「青峰」は日々T &Gを繰り返していた。


 朝日新聞社が後援し「日本学生航空連盟」が運用していたJA3161, Cessna 150Aは良くエプロンで見かける機体だった。


 同じく「日本学生航空連盟」マークを垂直尾翼に示し、胴体には「SONY」とスポンサー名をいれているJA3187, Cessna 150C。



 こちらはれっきとした「東京三洋電機」の社有機として登録されたJA3193, Beechcraft 23。
 家電業界が儲かっていた時代だった。


 スイス製の機体も飛来した。JA3196, PC-6がそれで、事前にスイス国籍機がデモの為に飛来していた。
 尾翼マークから「朝日ヘリコプター」所属と判る。


 JA3201, PC-6が民間エプロンでくつろいでいる所。所有する「伊藤忠航空輸送」の同型機JA3202も飛来していた。


「日本学生航空連盟」マークを垂直尾翼に示したJA3223, Cessna 150Dには「東京海上火災保険」がスポンサーだった。


 JA3231, Piper PA-28-140は「東京航空」に所属し、航法訓練でしばしば、寄港していた。


 富士重工(現スバル)が商品化した「エアロスバル」初号機JA3241, FA-200改は今も存在する「グリーンスタンプ」の広告塔として飛来していた。




「青山飛行学校」は機材の充実を図り、JA3246, Cessna 150F 「青天」を配備していた。


 これまた、名古屋空港には常駐しなかったJA3290, M20Cが飛来し、小型機の定置場だった「南エプロン」に駐機していった。


 朝日新聞社はV尾翼が気に入ったのか、JA3133, Beechcraft F-35を導入し、名古屋空港へ見せに来てくれた。



次に双発小型機をJAレジの若い順に紹介する。

 毎日新聞社が運用していたJA5005, DH104-2Bは事件が発生する度に羽田から飛来してきており、見かけるチャンスは多かった。


 国際航業が所有するJA5013, Beechcraft B-50は名古屋空港の常連だった。



 中京エリアに販売網を持たなかった「読売新聞社」も取材で羽田から飛来する事がしばしばあった。
 機体はJA5014, Beechcraft E-18S。


 航空大学からの航法訓練先は名古屋に決まっていたかのように、頻繁に飛来していた。JA5020, Beechcraft D-18Sの尾輪式と前輪式の両方を捉えられていた。
 尾輪式


 前輪式


 JA5031, Beechcraft C-18Sはパシフィック航業で運用され、天気が良い日には飛来する事が多かった。


 中日新聞社が採用した初代エアロコマンダー機で、遠く東南アジアまで親善飛行をした記録を持つ。
 JA5047, A C 680。


「三ツ矢航空」が所有し、パシフィック航業で運用されていたJA5056, Cessna 310Bは滅多に見かけられなかった。


 パシフィック航業で運用されていたJA5082, A C 680Fは調布をベースに航空測量を続け、昼飯時に降りてくるパターンが多かった。


 朝日ヘリコプターが所有していた当時が判る画像でJA5097, A C 500A。


 森脇さんは何枚ものJCAB所属同機を撮影しているが、一番古い画像がこれ。
 JA5100, DC-3C。背景にF-86Dが見える。


 初代のオーナーが日本航空だったJA5103, Beechcraft D-18は前輪式に改装し、伊藤忠航空整備が運用していた。


 JAXAの前身、航空技術研究所が所有し、計測棒を配備した姿で飛来していたJA5111, Beechcraft 65。


 この機体も日本航空時代の画像が捉えられているが、別項で紹介する。
 JA5114, Beechcraft 65。


 Beechcraft社の日本総代理店だった伊藤忠商事は様々な機体を持ち込んで売り込んでいた。
 この機種もその一つで名古屋へもデモにやってきたのかもしれない。
 JA5122, Beechcraft B95A


 読売新聞社が後継機として所有したのがJA5123, Beechcraft 95-B55で慣熟飛行で名古屋空港まで飛来していた。


 輸入した新造機を国内で販売できるまで伊藤忠航空輸送として登録、運用されていたJA5127, Beechcraft 65-80。


こちらはJA5132, Beechcraft 65-A80で伊藤忠航空輸送として登録


 東洋綿花、後のトーメンが輸入代理店をしていたPiper社の機体JA5135, Piper PA-30は2年後に韓国へ移籍していった。


 横浜訓盲学院が3月1日付で登録し、15日には名古屋へ飛来している
 JA5146, Cessna 402。


 中日新聞社は2機目の固定翼機を配備し、報道力をました。JA5151, Cessna 411A。


 国際航業が新規に登録したJA5165, A C 680EがW-1誘導路へ移動中を捉えた画像。


 KHIが社有機として初登録したJA5170, Cessna T310Pは良く名古屋空港を訓練場として飛行を繰り返していた。


 航空に関心を深めたSONYが登録したJA5171, Beechcraft 60はしばしば小牧へ慣熟飛行に飛来していた。


 航空大学校の航法訓練飛来が常態化していたおかげで撮影の機会は多かった。
 JA5174, Beechcraft H-18の他にもJA5172, JA5173も撮影記録が残っている。


 安宅産業も航空機販売に乗り出し、担いだのは英国機だった。JA5195, BN-2A-2は離島航路に使われていく。
森脇さんの写した最新の双発機となった。


 JCGが運用していたJA5502, Beechcraft E-18Sは羽田との慣熟飛行や整備後に調布からの飛来が多かった。同型機JA5501, JA5508の撮影記録も有るが最古画像を紹介した。


 最後はJA登録が無いStinson L-5E-VEで垂直尾翼には名古屋大学を示すマークが見て取れる。
 中日新聞社格納庫に置かれていたのは自分も確認していた。
 この後どこかへ運び出されいくところかな。







その3   国内エアラインへ続く

  フィルム提供者  : 森脇比佐
  参考使用フィルム  : Fuji Neopan SS
   使用フィルムスキャナー  : Nikon Super Coolscan 5000
  使用画像ソフト     : Adobe Photoshop

  編集者      : 丹羽八十 /  Yaso Niwa, President & Chief Planning Officer
                   Nagoya Aviation Historical Society

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