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航空人生録・論文 掲載21/11/21
更新21/11/27

  

 故 森脇医師 遺稿                                                                                                              

「名古屋空港/小牧基地」の写真記録について 丹羽 八十


 

「名古屋空港/小牧基地」の写真記録について
  外国籍軍用機編


全体の目次

1, 周辺状況

2,  民間機
    その1 森脇さんが捉えた民間籍ヘリコプター紹介
         レシプロエンジンヘリコプター
         タービンエンジンヘリコプター
 
   その2 民間固定翼機
         単発民間機
          双発民間機
   その3 国内エアライン 
    

3,外国籍民間機  

4,外国籍軍用機  〜当ページ〜

5、自衛隊機  準備中
   その1 航空自衛隊
   その2 海上自衛隊
   その3 陸上自衛隊

   


4,外国籍軍用機編

「外国籍軍用機の撮影記録、但し1971年開催の「国際航空宇宙博」参加機は除く。 「名古屋空港/小牧基地」へ外国籍軍用機が飛来する事が度々あった。森脇さんが撮影記録を続けていた当時だけでも8か国の機体が翼を休めて行った。


RAF(Royal Air Force)英国空軍は香港に派遣部隊が居た事も有、飛来してきた。
H.P Hasting C2, WJ333が1965.10.16.(Sat)〜10.19(Tue)まで民間エプロンに駐機していた。



French AFフランス空軍の飛来は今日までいくつかの実績を残すが、森脇さんは貴重な機体を抑えていた。画像の汚れが目立つがご容赦されたい。Breguet 765 Sahara, 64-PH
画像から見ると自衛隊側から動き出している。手元記録では1962.9.15.(sta.)に来て、1泊していったとある。勿論行先は不明。


上側は小牧基地オペレーション前のC-118A, 64-PK。下側は民間側エプロンのDC-6B, 64-PJ




ROKAF (Republic Of Korea Air Force)韓国空軍機がMHIで整備されていた事は広く知られているが、その証拠写真は極めて少ない。森脇さんは貴重な記録を残してくれた。1960年撮影であることは判っているが、日付は不明。
F-86F-25-NH, 51-13187と判別できるお宝画像である。


下の2機はいずれも増槽を付けておらず、ローカル試験飛行と思われる。いずれも上の機体同様
F-86F-25-NHで自衛隊機ではない。




この2機のF-86Dはレジ番から自衛隊機でない事は判っていた。後に松崎豊一氏の調査で韓国機であることが雑誌で報告されている。
上側はMHIエプロン




貴重なUH-19も撮影されていた。




PHIL AIR FORCE (Philippines Air Force)フィリピン空軍のF-86F整備もしていたとMHI社史には出ているが、森脇さんが残した記録ではS-62Aヘリコプターの様子が判る。
製造番号を機体シリアルにして飛行してるS-62Aは3機確認できている。MHIの製造番号は海空自衛隊、民間機ともに連番付与しておりフィリピン向けが3機以上居たかは確証が無い。








Luftwaffe ドイツ空軍も来訪し、民間エプロンで休息していった。
鉄十字のマークも鮮やかな機体を名古屋空港で見られるとは!


RAAF (Royal Australia Air Force) オーストラリア空軍も飛来した。
オーストラリア首相のドン・ゴードンの乗機として69.5.18.(Sun)に飛来し、民間エプロンに駐機、翌日離日した。
これ以降、RAAFは機種を変えて度々飛来する事になっていく。


RCAF (Royal Canadian Air Force) カナダ空軍の想いでは深い。
70.1.22.(Thu)、CL-28/CP-107Argusが民間エプロンに駐機している知らせを受けた時は耳を疑った。出ていく25日(Sun)は東京のマニアも駆けつけた程だった。しかも森脇さんは2回目に飛来した同年9月にもきっちり記録を残されていた。





カナダ空軍はC-130をCC103と呼称する。手元記録簿では1965.10.2/4でシリアル10307が初来名している。この後不定期に飛来していく事が増え、機番集めもはかどった。
飛来目的は幹部候補生の修学旅行との噂も出ていた。












機体名をCC106 Yukonという輸送機も頻度多く飛来してきた。まず他の空港ではみられない珍機が名古屋に現れると評判になっていく。








そして真打はCC137と呼称するB.707の登場となり、以降ベトナム戦争後の難民輸送まで繰り返し飛来していく事になる。ついでながらこの頃からセキュリティが強化され、一般人のエプロンでのランプショットは出来なくなっていく。







最後に米国軍用機の飛来記録について紹介しよう。
在日米陸軍の飛来記録は少ない。同じU-21A, 67-18096が69.4.28と70.11.13.の2回飛来が記録されているのみ。




次に米海兵隊機は6機の撮影記録がある。古い順に紹介すると
62年に上空をパスする岩国基地配属部隊のスカイレイを捉えている。


続いて1962.12.7.TF-9J(旧F9F-8T)が上空をパスしていったところの撮影記録が残されている。


1964.12.16.にはやはり岩国基地配属部隊のTF-9Jがロウパスした。


1971.10.5.には岩国基地からC-117Dが飛来した。


米海軍機の飛来記録は古い順に並べると、
クルセイダーF-8A, F-8C, RF-8A
3機が飛来した。






空母艦載機の飛来記録は少なく、空母オリスカニ配属のA-4Bが記録されているのみ。


厚木からの用務飛行、西側誘導路を使うのはMHIを訪ねたとみる。






1968.2.22.にはVC-118Bが小牧基地から出てきて離陸していった。


この他、上空通過していった機体も撮影記録がある。




最後に米空軍機の撮影記録を紹介する。但しF-102Aを含まない。
輸送機編:C-47
汚い画像ですが一番古い撮影は1962.9.27.にMHIエプロンで荷下ろし中のC-47D


1963.12.22.に34側エンドで撮影されたC-47のレジは00-49832と読める。


このC-47Bは1962〜1966までに3回飛来が記録されている。


輸送機編:C-54
6機が撮影されている。44-9101, 44-9122 は複数回飛来が記録されている。












輸送機編:C-124
1962.9.27.MHIエプロンに駐機し、多くの従業員が取り囲んでいる光景が歴史を感じさせる。










輸送機編:C-130
1963〜67年のC-130A, B型の無塗装時代を並べてみた。










迷彩柄のハーキュリーズも飛来する様になった。








下のC-130はシリアルが読めない怪しい機体。



輸送機編:C-135
第七回日米貿易経済合同委員会メンバー来名した時の乗機として初飛来したVC-137Bは民間エプロンを利用していった。


1965年になるとこのWC-135等が頻繁に飛来しT&Gを繰り返す。全国紙Aが記事にした事を受け、飛来しなくなった。




輸送機編:C-141
4機のスターリフター初期型無塗装仕様での飛来が記録されている。69.12.12.は2機飛来。









練習機編:T-33A
1962から69年まで飛来が記録されていた。年台毎に表記が変化してきているのが判る。





















練習機編:T-39A
機番違で5機飛来が記録されている。











戦闘機(除F-102A/TF-102A)編

森脇さんはF-100DとF-100Fに出合った。それもF-100Dは何やら怪しい物をぶら下げている。そして1969.5.11.基地公開時に初飛来したファントム。







雑機編
1960年台の小牧基地は一見、米軍基地と見まごう外来機が飛来、駐機していった。
望遠レンズも現代とは違い、解像力は貧弱ではあるが機種の識別ぐらいは出来た。

















 追記
 Argusの写真を追加した際にこの機体をバックにカメラマン仲間が集まった集合写真を頂きました。
 丹羽さんからはすでに鬼籍に入られた方も幾人かおられるとの説明でした。
 当時、カメラ仲間の間で直接いろいろな情報交換をされていたことと思います。
 情景を表す写真として掲載させて頂きます。(イガテック)

 撮影1970/01/25  提供 丹羽八十



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  フィルム提供者  : 森脇比佐
  参考使用フィルム  : Fuji Neopan SS
   使用フィルムスキャナー  : Nikon Super Coolscan 5000
  使用画像ソフト     : Adobe Photoshop

  編集者      : 丹羽八十 /  Yaso Niwa, President & Chief Planning Officer
                   Nagoya Aviation Historical Society

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