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航空人生録・論文 掲載21/11/21

  

 故 森脇医師 遺稿                                                                                                              

「名古屋空港/小牧基地」の写真記録について 丹羽 八十


 

「名古屋空港/小牧基地」の写真記録について
  外国籍民間機編


全体の目次

1, 周辺状況

2,  民間機
    その1 森脇さんが捉えた民間籍ヘリコプター紹介
         レシプロエンジンヘリコプター
         タービンエンジンヘリコプター
 
   その2 民間固定翼機
         単発民間機
          双発民間機
   その3 国内エアライン 
    

3,外国籍民間機  〜当ページ〜

4,外国籍軍用機


3,外国籍民間機編

「国籍別旅客機」国籍記号順に紹介

1972.12.15.〜22日まで駐機していったタイ「エアサイアム」のシンガポール籍BAC111   9V-BEF


台湾からのチャーター便が飛来する様になり1972.3.8B.707で飛来したエアチャイナ機  B-1826


1969.5.30.この日、羽田が濃霧で閉鎖になり、合計10機がダイバードしてきた。その内の1機、カナディアン パシフィック航空のDC-8-63。  CF-CPO


ドイツ国籍のアトランティス航空のDC-8-33は68.11.18.〜21日まで駐機していった。  D-ADIR


スペイン国籍スパンタックス航空のCV-990-30-A-5が69.3.17〜20日まで駐機していった。   EC-BNM


英国籍機
全日空がチャーターしたバイカウント機G-APKKは羽田便に使用されていた。
この頃、民間エプロンは立ち入り自由だった!  G-APKK


見た事もないブリタニア機が駐機していて驚いた記憶が懐かしい。しかもブリティッシュ カレドニアンの上品な塗装だった。69.3.25〜28の駐機だった。  G-AOVJ

 
モナーク航空は常連駐機だった。
 G-AOVI

  G-AOVT

  G-AOVG


大阪万博開催の影響からか駐機していった外来機は多かった。  G-ANCE


今は無きBOACも飛来していった。それも英国の威信を背負ったVC-10で来てくれた。  G-ASGP

  G-ASGH


Boeing 707も駐機していった。  G-APFG

  G-APFL

  G-APFB


全日空が使っていたJA8209は次の奉公先、エクアドルのSAN塗装とHC-ATVのレジに替えて訓練飛行に飛来していた。  HC-ATV


お隣、韓国からはオリジナル塗装と新塗装で2度飛来してきた記録を残してくれた。  HL7201

  HL7205



米国籍、飛来順
JCABが自前のフライトチェック機を持たなかった時代、米国FAA機は機種を変えての飛来回数は多かった。
63.7.6.これは森脇さんのNレジ初撮影機  N87


コンベアT-29Cの飛来は2機が確認されている。  N251

  N262


自前機が届く前に運用しはじめたリース機B.727での慣熟飛行寄港地を名古屋空港としての飛来が多かった。
  N68650

  N975PS


65.9.1.フライイングタイガー機にMU-2Bの6号機を積込み、米国へ空輸していった。  JA8629

  N450T


69.6.6.ユニバーサル航空が横田基地へ降りられず、ダイバートしてきた。
飛来したその日に横田へ向かった。  N805U


69.8.23. PAN AMも飛来、駐機していった。  N461PA


JALがワールドからリースしたB.727も慣熟訓練で飛来していった。  N692WA


全日空がリースした機体を路線に投入しだした。 N547PS

  N548PS


トランスインターナショナルは頻度高く飛来していた。






ワールド航空も頻度高く飛来した。なかでも70.5.12.に飛来したN368WAは6月2日までの長期間放置されていた。




70.7.1.は羽田がクローズした影響でTransavia HollandのB707-327C, PH-TRVとこのSB(Seaboard World)のDC-8-55JT, N802SWの外国機他、国内各社のダイバードがあった。


1972.4.26.飛来目的は不明だが同日出て行ったVoyager航空のB720-025, N10VG


Modern AirのCV-990-30A-8は1972.11.16.〜18日まで駐機して、羽田へ移動していった。
 

1972.12.14.米国カルフォルニア州バーバンクから飛来したコンステレーションは翌日15日に新潟空港へむけて出て行った。  N1102


フィンランドのKar-Air所属DC-6B, OH-KDBの初飛来は69.1.24〜30日でこれ以降見る機会が多くあった。


69.10.3.〜10日駐機していったスターリング航空のDC-6B     OY-BAS


オランダ国籍の機体は4機種の飛来を記録されている。この内3機がマーチンエア航空の機体で最初は66.10.21撮影のDC-7C, PH-DSOだった。


69.10.27日にはDC-8-33が飛来していった。  PH-DCD


69.11.7日にはFokker F-28の売込みデモ飛行で伊丹を経由して飛来した。  PH-MAT


1970.7.1日にはトランザビア航空のB.707-327Cが飛来した。  PH-TRV


VR-H時代の香港からはキャセイ航空が早くから就航していたが67.3.6.に飛来したエレクトラはチャーターフライトだった。  VR-HFN


CV-880-22Mを撮影日順に示す。  VR-HFX

  VR-HFS

  VR-HFT

  VR-HFT


エアインディアの飛来は68.11.12と70.1.21の2機撮影されていた。  VT-DJK

  VT-DOM


ルーマニアのTARON航空は69.12.19〜24日まで駐機していった。
東欧からの飛来は珍しかった。  YR-IMK


66.7.20日の名古屋空港に着いたのは南アフリカからのTrek Airwaysのコンステレーションだった。 ZS-DVJ



外国籍民間機、General Aviation編、(国籍記号順)

フランスから64.2.22.民間エプロンに駐機してたシュド アルェット II タービンヘリは国内各地でデモフライトをしていった。  F-BHOE


英国からはブリテン・ノーマン社のBN-2Aが69.10.10.各地のデモ飛行の一環で飛来した。  G-AXLY


スイスからはピラタス社のポータが2機記録されている。
HB-FBEはJA3196として登録された。
HB-FBNはフェリー用レジらしく飛来目的は不明  HB-FBE

  HB-FBN


米国籍機編

63.2.14日完成したばかりの名四国道への離発着デモをトーメンと朝日新聞社が関わったと記録にあるヘリオ クーリエが民間エプロンで休息していった。  N4196D


63.7.26日今度は農林水産協会がパイパーポニーを使って、鍋田干拓地でBHC散布テストをしていった。  N67167


63.7.26日にはスチンソン L-5が飛来した。在日米軍関係者の乗機  N9882F


エアロコマンダー社からは3機種が飛来した。中日新聞社が採用していた事もあって、デモンストレーションに飛来したもの。  N9089N

  N6343C

  N6343U


在日の米国籍プライベート機と思われる機体も飛来していた。  N93586

  N5896E

  N9882F


輸入機、空輸機の飛来もあった。  N3204Q

  N9115Q


オーストラリアからはV尾翼のビーチ機が民間南エプロン地区に居た。  VH-MCA



BIZ Jet編

名古屋空港へ初飛来したコカコーラ社のガルフストリームII
社有ジェット機を持つ会社規模にも驚かさえたが、グラマン社製で
スタイルの良さに名古屋の航空ファン達は驚嘆した。  N678RW


Jet化前のガルフストリームIも遅れて飛来した。所有していたベクテルという建設会社とは十数年後に米国で仕事をした体験を持つ。  N220B


今と違って、当時JCAB航務課飛来予定を教えてくれた時代だ。  N1807Z

  N375PK

  N7602

  N111AC

  N806AC

  N397F



廉価のBIZ Jetとして売り込みで飛来したCessna 500  N521CC





その4   外国籍軍用機へ続く

  フィルム提供者  : 森脇比佐
  参考使用フィルム  : Fuji Neopan SS
   使用フィルムスキャナー  : Nikon Super Coolscan 5000
  使用画像ソフト     : Adobe Photoshop

  編集者      : 丹羽八十 /  Yaso Niwa, President & Chief Planning Officer
                   Nagoya Aviation Historical Society

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