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航空歴史館

川西〜新明和の飛行艇研究

このページ マーチン PBM-5A マリナーの思い出

マーチン SP-5B マーリンの思い出
 SP-5Bの解体 米海軍飛行艇の終焉
  SP-5Bのテストフライト

シコルスキー H-53A シースタリオンの積み出し
US-1A 最終号機 9090 最後の定期整備が終わる
US-2 4号機 9904が長期のオーバーホールを終えて飛行テストを開始
US-2 6号機 9906が初飛行

別 掲

 川西二式大艇の戦後史
 神戸港 徒然の記 飛行艇と飛行艇母艦 (抄) 故中井八郎さん原稿
 コンソリデーテッドPBY-6Aカタリナ研究
 グラマンJRF-5グース研究
 グラマンUF-2アルバトロス研究
 新明和UF-XS研究
  新明和PS-1研究
 新明和US-2研究

 

ニュースフラッシュ349   9906

神戸市東灘区 新明和工業甲南工場  撮影2017/03 濱野博司


  新造機のUS−2、6号機が3月2日初飛行に成功しました。間もなく第71航空隊へ引渡されます。

撮影2017/03/07 鳴尾浜


撮影2017/03/08 甲南工場


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神戸市東灘区 新明和工業甲南工場  撮影2016/03/02( 水) 高尾 眞


  US−2、4号機の社内テストの姿を送りす。2016年3月2日午前の撮影で、3月1日に引き続き2回目の社内テスト飛行でした。当日は岩国での着陸テスト他を実施した様子です。

 昨年3月11日に工場入りしてから異例の長期間にわたるオーバーホール作業を終え、社内試験飛行を開始しましたが、通常の作業期間を大幅に超える期間を要しました 。5号機の事故による影響でしょうか。なお、外見上の変化は見られません。

・ 甲南で撮影をしていて、いつも思うのですが、「行きは、坂道を滑り降り、帰りは這い上がる、ある意味で、不思議な飛行機」です。年度末になると、新造のUS-2 9906が姿を現す見込みです。

参考 

5号機9905の事故について  2015/11/13海自発表の要約 

 岩国航空基所属のUS-2の5号機「9905」は、4月28日高知県足摺岬北東約36キロメートルの海上での離着水を繰り返す訓練中に機体の一部を損傷し離水に失敗、機内に浸水があったため19名乗員は脱出し、機体はその後水没した。
 エンジンの1基が波をかぶり出力が低下したため、緊急対応として、残る3基を稼働させて飛び立つ「3発離水」を行った際に、機体の姿勢を制御しようとする操作・操縦が過大であったことが原因で、海面に衝突しエンジンが脱落した。
 また、US-2の操縦ハンドブックなどの技術刊行物に「3発離水」に関する具体的な手順や判断基準が示されていなかったことも要因としてあげられる。
 再発防止のため、US-2による洋上離着水を含む段階的な訓練飛行の実施や3発離水手順の見直しなどが今後予定されており、洋上での救難などの実務投入は2016年3月以降に再開される見通しとなっています。

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2015/10/13

神戸市東灘区 新明和工業甲南工場  撮影2015/10/13(火) 10/21(水) 高尾 眞


 新明和工業甲南工場ではUS−1A 9090号の最後のオーバーホール作業・テスト飛行が行われました。US−1Aも残すところ2機(9089・9090)となり、9089号機は本年度中のリタイアが予定されています。 最終号機の9090も平成29年度いっぱいでのリタイアが見込まれるとのこと、したがって、神戸甲南でのUS−1A最後の姿となる飛行テストは10月13日から開始され、10月23日午後、甲南から岩国に向けてフェリーされました 。六甲の山並みと神戸市街地をバックに滑水するUS−1Aの姿もこれで見納めです。

2015年10月13日 定期整備(PAR)終了後テスト飛行初日

 芦屋沖に着水後、甲南工場へ向け滑水帰投中です。 逆光になりますが、US-1では何とか絵になり、好きな撮影ポイントです。US-2ではまるでシルエット写真になってしまいますが。


10月21日

この日は、海自クルーによる領収テスト飛行だったようですが、スベリを降り、ギアを上げた直後に動きが止まり、しばらくしてから再びギアを降ろし、スベリに這い上がっていきました。エプロンでは右メインギアに工員が取り付いていました。このトラブルのため、結局この日は飛びませんでした。


 甲南工場には、間もなくPAR中のUS-2(9904)のテスト飛行が始まると思います。2015年3月11日に工場入りしましたが、通常よりも作業期間が長くなっているのは、9905の離水事故の影響でしょうか。年度末になると、新造のUS-2 9906が姿を現す見込みです。

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PS以前

米海軍 マーチンSP-5B(P5M)の思い出


P5M-1

P5M-1 126501 VP-40 QE-7  撮影1958年頃 提供濱野博司 白いレドームは米本国用を示す


SP-5B (旧P5M-2S)

水上機母艦から揚陸 撮影1964 提供 関西航空史料研究会

SP-5B 135517 VP-40 SG-5



140148 VP-50 SG-8

 

140147 VP-40 QE-3 撮影1967/05/07 濱野博司 黒いレドームはSEA用を示す 3機で飛来


SP-5Bの解体 米海軍飛行艇の終焉SP-5Bの解体

 1967年初夏、VP-40(QE)のSP-5Bが甲南工場に集まってきました。勤務していた叔父から「18機のピーゴを甲南でつぶす」と聞いていました。4月29日にQE-4が我が家の上空を超低空でパスしてから、5月8日までに、修理で残っていた機体と併せて18機が確認できました。

 工場では、レドームとエンジンと機密部品だけを本国へ送り、機体はユンボでつぶされたそうです。

 SP-5Bの引退(即ち米海軍飛行艇の終焉)の式典は1967年11月頃にノーホーク基地で行われ、その時期にVP-40(QE)は既にP-3Aを装備していました。

以下、1967/05/08前後に撮影  濱野博司
140147 VP-40 QE-3 撮影1967/05/07 濱野博司 黒いレドームはSEA用を示す 3機で飛来




135517 VP-40 QE-8 撮影1967/05/06 濱野博司 白いレドームは米本国用を示す ノーホークからの補充機


赤いツチブタのマーキング


QE-1




  



 1965/09/30 テストフライト

 「この頃は伊丹にも、ひと月に1回くらいのペースの撮影なので 何時飛ぶか分からない新明和甲南工場はボーズの可能性が高いので行かなかったのですが、何か情報があったのでしょうね。
 SP−5B、1967年まで約10年くらい新明和甲南工場でのオ−バ−ホ−ル作業が、今のUS−2の甲南工場での定期修理と同じように何時テストフライトが見られるか分からない状態で、ボーズになる可能性が高いのでわざわざ写真を撮りに行く人が少なかったなかったのでしょう。 私も1965年まで甲南工場の存在、SP-5B飛行艇の写真が撮れるということを知りませんでした。
 京都からは伊丹に行くより時間もかかりました。
 3回ほど行って、ラッキーにもSP-5Bのテストフライトに。 その時は分らなかったのですが、ベトナム戦でベトコンの海上からの補給ルートなどのパトロールに使われていたようですが、陸上に降りられなくてスベリのある基地以外には水上機母艦が必要な哨戒飛行艇は維持が大変だったようで、新明和甲南工場で少数機の程度のいい機体を除きスクラップに。
 多分程度のいい機体のテストフライトにぶつかったのかも。」  北川喜一


 北川喜一さんが 山内秀樹さんと飛行機仲間ということで 北川さんの撮影された写真に山内さんが解説文を入れたものをお送りいただきましたので写真下に解説として紹介します。 写真の表示順も文章に合わせて並べなおしました。 解説がとても分かりやすく勉強になります。(編)



撮影1965/09/30  北川喜一  解説 山内秀樹


 135482 SP-5B VP-48   

 SF-3のスベリから水上タキシングに移る一連の写真は、その作業手順がよくわかる非常に貴重なものです。



  飛行前点検を終え、

 エンジンを掛けてスベリを降下中、機首側面のハッチから伸びたロープは輪環状のブイに繋がれていて、万一水上で動力を停止した場合でも、勝手に漂流しないための対策。
 右緑、左赤に塗り分けられた直方体のブイに取り付けられたビーチングギアのタイアには塩水が詰められており、艇体から切り離されてもタイアは水上に浮かず、なおかつ外側の車輪のホイールには鉄板を重ねてウェイトとしてブイの浮力で支柱がほぼ垂直を保つ工夫が。
 そのビーチングギアも長いロープがとりつけられており、ランプ上の地上員が繰り出していき、艇体から切り離された段階でランプに引き摺り上げて回収する。
 艇尾のビーチングギアは艇体の左側に取り付けられており、脚柱の右側のみに取り付けられた直方体フロートと塩水を入れたダブルタイアと右側のホイールに付けられた鉄板で脚柱をほぼ垂直に保つ。
 これにも回収用のロープがランプ上に伸びており、地上員がこれを手繰って回収する。


 完全に水上状態となり、パイロットは側面窓から頭を出してビーチングギア切り離し作業を見守り、既に地上員がビーチングギア回収ロープを手繰り始めている。(この写真はVP-48の同じモデックスSF-3が2機揃って写っている工場ならではの写真。
 陸上の147935  SF-3は新明和到着直後でこれからオーバーホールという状況。 一方134582 SF-3はオーバーホール完了後の試験飛行か領収飛行に出発という状況。 
 また、同時にこの2機がフライトすることも無いので、何の混乱もないとは思うが、非常に面白い一瞬。
 機首の大きなレドームには当時最新鋭機材で、後にP-3A/BやP-2Jにも搭載されたAN/APS-80索敵レーダのスキャナーが収容されているが、先端部を黒く塗っているのは西太平洋展開部隊の使用機のみ。 米本土のSP-5Bは機首のレドーム全面真っ白の塗装。理由は知らない。



 すべてのドアを密閉し、タキシングを開始。


 艇尾の左側面が波立っているのは左ハイドロフラップを開いて、右翼端フロートの水力抵抗に抵抗し、直進しようとしているため。


 尾部銃座跡に後方に突き出したドームはAN/APN-122ドップラーレーダのアンテナ収容部で下面がハニカム構造となっている。 大きな水力を受け、損傷しやすい艇底にレドームを装着できないので苦肉の策。
 AN/ASQ-8MADも探知距離を稼ぐためにはできるだけ低い位置(PS-1のように胴体尾部)に取り付けたいところだが、デリケートな磁気コイルを保護するためY字尾翼の交点から後方に装備。
 MADコーン先端部に直角方向に交わったコイル(輪環)を剥き出しに取り付けているのが性能重視で生々しい。 
 操縦席後方背部のレドームはAN/APA-69 ECMアンテナで360°回転式のアンテナを収容しており、S2F-1の操縦席後方背部のAN/APA-69アンテナと同じ配置。
 



撮影1965/09/30  北川喜一  解説 山内秀樹

 147935 SP-5B VP-48


  新明和到着直後でこれからオーバーホールという状況。 その前に主翼を取りはずした状態のUF-XS (149822)が見える。



 撮影1965/09/30 北川喜一



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H-53A

米海軍 シコルスキー H-53A シースタリオンの積み出し  提供 関西航空史料研究会







        



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PBM-5A

米海軍  マーチン PBM-5A  マリナーの思い出  提供 関西航空史料研究会

 時期は、1940年代かと思われます。


OPPAMA (追浜)



バズナンバー判読 PBM-5A 102272






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