BA-764のその後 1993年ホノルル空港にて
1993/10/16 航空情報主催のブルーエンジェルス展示飛行ツアーのオプショナルツアーで、ホノルル空港上空撮影ツアー搭乗待ちに撮影 Prius737
海上保安庁の前輪式H13で外国へ売られたのはJA5173だけで、そのナンバーはN26493であり、FAAのリストでも製造番号BA-764で一致していますが、尾翼に残る三桁の数字173というのが不可解です。海上保安庁のナンバーを書き入れて展示でもしていたのでしょうか?(編集者)
2017/9/29 れあるさんからメール
この写真、私には再塗装の下準備をしているように見えます。エンジン、ラダーそれに除氷ブーツ等を取下ろし表面の塗料を剥がしたら下から海保時代の塗装が出てきたのではないでしょうか。尾翼に残る濃い青色は海保マークを消す為に厚塗りした部分かと。
2017/10/03 HIROSHI
ANDOさんからメール 安藤
このH18について、少し情報があるのでお伝えします。
以前一緒にボーイング727を飛ばして苦楽を共にしたハワイ島出身のカワサキ機長、(アローハ航空が倒産するまで機長を勤め、数年前モロカイ島のカラウパパでセスナ・キャラヴァンで水上不時着して一躍有名になった豪快な親友です)彼は長い間ハワイ州でそれはYS11から737、ツインビーチまで幅広く運行していた経験のある人なので、この写真を見せると、あれは、ボブ・ジャストマンと言う、現在ハワイアン航空の機長をやってる人の機体で、ジャストマンさんは以前このH18を使ってホノルルからフレンチ・フリゲート瀬と言う、ホノルルから北西に小型機で3時間の所にある小さな環礁にある政府の施設までのフライトをやっていた時期があったそうで、その後H18は大きすぎるとかで双発のパイパー・アズテック機に変えてから、合計400回以上もフレンチ・フリゲート瀬まで往復したそうです。因みにこのジャストマンさんも過去に自作小型機をエンジン故障で洋上に不時着させて奇跡の生還を成し遂げた人で、カワサキ機長と過去が似ています。
ハワイ航空業界の生き字引的存在のカワサキ機長
話が前後しますが、ヒコーキ雲で紹介されているオーストラリヤのジェフ・グッドール氏のhttp://www.goodall.com.au/に、このH18がパラオに売られたと書かれてありますが、買主のロバート・エッチェル氏と言うのは米国本土の人で、この方は何故か南洋地域で学校,
協会やら病院を建設する会社の代表だったらしく、数年前に他界されています。調べると彼の仕事がパラオ、グアム、マイクロネシアのポノペイ、マーシャル諸島のマジュロにあったと書かれているので、パラオ近海での運送、またはグアムから北マリアナ領での何かの航空運送に使われたのかもしれません。その証拠にグアムで撮影されたとされる画像がグッドール氏のウェブに出ています(因みにパラオ・グアム間はH18で運行するにはキツイ距離です)。
多分その後にハワイに機体が移り、ジャストマン氏の会社でフレンチ・フリゲート瀬までアズテックに変わるまで数回往復‥
その次に出てくる名前がハッチソン・自動車・エヤ・運送と言う会社で、ハッチソンと言う名前は情報ありますが未だ未確認なので‥
次はサークル・レインボーエヤと言う遊覧飛行の会社でこれはぼくも知ってます。ホノルルからマウイのハレアカラやらハワイ島へ行ききしていたツアー会社で、そこで遊覧飛行に従事したみたいですね。そのサークル・レインボーエヤで一旦、登録を切らせています。(USCRと記されているのは、United
States Civilian Registryの事だと思います。何せジェフ・グッドール氏はオーストラリヤの方なので多少表現が英国的になっているのかもしれません)
そして数年後、マスユー・バーネット氏に渡り同じ機体番号で再登録されています。このマスユー・バーネット氏は近頃ハワイアン航空の機長職から引退したお方で、ホノルルのラグーン通りの末でおなじみの、あの、スーパーDC3を運行するカマカ・エヤの創立者です。彼はハワイアン航空から引退後、米本土に移り今でもエヤー・タクシー業務でまだ飛んでいるそうです。
その多分、バーネット氏の手元にあった期間が非常に短かったので、彼の会社の整備部門で、単純に整備・再登録だけを済ませたのかもしれません。そして直ぐ、また誰かの手に移り結局米国東部へこのビーチクラフトは移ります。
本土に移ったのが1995年とされています。(それにしても星型レシプロエンジンの機体を世界で一番降りる所の無い・遠いとされるハワイ・米本土間を飛んで行ったのか、解体して船で送られたのか、非常に興味があります)
米国本土に移って20数年、この機体は今、現存するだけではなく、誰かの手による整備・塗装が行われた様子で現在売りに出ています。
https://www.lionaerospace.com/LAI_Sale_Aircraft/LAI_Aircraft_Listing-1969B18H_N26493.html
動画 https://www.youtube.com/watch?v=ItUZucMVTOo&feature=youtu.be
以上がこの機体の簡単な消息でした。
カワサキ機長によると80年代の初めに日本から数機のH18が流れてきて遊覧飛行やら貨物輸送に使われたが殆どは廃機になったとか。言われてみれば、ぼくはH18の2機がオアフ島北側のデリングハム飛行場の裏地にあり、以前データプレートだけでも写真を撮ろうと行ったのですが、機内に大きな蜂の巣があったので退散してきた事がありました、いずれ機会を見て最訪問してこようと思います。
ジャストマンさんもバーネットさんも、まだお達者な様子なのでこちらもいずれ是非、お会いしたい方々です。
ジャストマンさんが九死に一生を得た洋上不時着の記事、写真入り: http://archives.starbulletin.com/2004/01/19/news/index1.html