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航空歴史館 更新21/02/23

 

B 海上保安庁のビーチクラフト18

 

 
  登録 型式

在籍期間

56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85

備考

1 JA5501 E18S                                                      宮若市に展示・撤去
2 JA5502 E18S                                                  

 N8475D

3 JA5503 G18S                                                熊本市に展示・撤去
4 JA5505 G18S                                            熊本市に展示・撤去
5 JA5506 H18                                        N8475E
6 JA5507 H18                                      N69094
7 JA5508 H18                                  滝川市に展示・撤去
8 JA5509 H18                              苫小牧市に展示
9 JA5150 H18  

航空大学校

                 霧島市に展示
10 JA5172 H18   航空大学校                

個人

 N763C
11 JA5173 H18   航空大学校                  N26493


 

全機の経歴と写真 JA登録順

JA5501 ビーチクラフトE18S 501
1956/01/26 c/nBA125
1956/01/30 JA5501登録 海上保安庁 定置場館山航空基地
1972/09/29 定置場羽田航空基地
1975/04 定置場鹿児島航空基地
1977/06 定置場福岡航空基地
1981/03/27 抹消登録 
  福岡県若宮町に展示
2006年現在 撤去

調布飛行場 撮影1967/10/19 Go! NAVY


福岡県宮若市畠建設 撮影2002 提供 大倉乾吾


福岡県宮若市畠建設 撮影2003/10/09 丹羽八十

 

 

JA5502 ビーチクラフトE18S  502  102
1956/01/30 c/nBA126 E18S
1956/01/30 JA5502登録 海上保安庁 定置場館山航空基地
1972/09/29 定置場羽田航空基地
1977/06 定置場仙台航空空港 
1980/07/21 抹消登録 アメリカに売却 N8475D→ RP-C707

東京国際空港 撮影1975年頃 提供上田新太郎

 

JA5503 ビーチクラフトG18S   503
1960/10/17 ロールアウト c/n BA-551
1960/11/10 JA5053登録 海上保安庁 定置場鹿児島航空基地
1981/04/18 抹消登録 熊本飛行連盟へ僚機のJA5505とともに45万円で払い下げ
1981 熊本市熊本東病院職員駐車場に保管
1984 東病院屋上に展示  JA5505と表示
2004ごろ 熊本市フライトギア店頭に展示 
2007/05 フライトギア閉店により消滅

大阪国際空港 撮影1970年頃 中井アルバム


熊本市東病院 JA5505と記入  撮影1985/04/28 KUPANBA


熊本市フライト ギア 撮影2004/06/01  FUKU



その他の写真等詳細は熊本のビーチクラフトG18S JA5503とJA5505について参照
 

 

JA5505 ビーチクラフトG18S  505
1962/08/21 ロールアウト c/n BA-617
1962/09/05 JA5505登録 海上保安庁  定置場鹿児島航空基地
1981/04/18 抹消登録 熊本飛行連盟へ僚機のJA5503とともに45万円で払い下げ
1981 熊本飛行クラブが熊本市立博物館へ寄贈
2014 熊本市立博物館リニューアルのため売却処分

アメリカからフェリー直後か

調布飛行場 伊藤忠航空整備エプロン 撮影1962/10/01 村越賢司



 撮影 1980/02/29  鹿児島空港  竹上真也


熊本市立博物館 海上保安庁文字類とマークを塗りつぶして展示

撮影1981 DOC.K CONTRAIL 107号から転載


正式展示 海上保安庁文字類とマークを復活

熊本市立博物館 撮影1996/11/03  山本晋介

その他の写真等詳細は熊本のビーチクラフトG18S JA5503とJA5505について参照

 

JA5506 ビーチクラフトH18 506
1964/10/13 c/nBA712
1964/10/23 JA5506登録 海上保安庁 定置場仙台航空基地
1971/04/21 定置場羽田航空基地
1972/09/29 定置場広島航空基地
1980/02/22 広島航空基地で引退 総飛行時間6800時間
1980/07/21 抹消登録 アメリカへ売却
1980/07/22 N8475E ホノルル Engene C Eversole,
1990 RP-C709 マニラ Commuter Air Philippines
2006/09/20 抹消登録

調布飛行場 撮影1967/03/19 あきあかね


調布飛行場または羽田航空基地 撮影大木真一

仙台航空基地 撮影1970年頃 gulf4 


広島航空基地 撮影1979/08/10 大平昌美


引退前 第6管区海上保安本部広島航空基地格納庫 撮影1980/02/22 佐伯邦昭


その他の写真等詳細は広島航空基地のビーチH18の交替式参照

 

更 JA5507 ビーチクラフトH18  07
  c/nBA731 N7025N
1965/09/01 JA5507登録 海上保安庁 定置場仙台空港
1981/07/01 抹消登録
1981/08/11 N69094 フロリダ州 Fora Sorenson
1989 RP-C1104
1994 廃棄処分の模様

新 東京国際空港 撮影1966/12/13 geta-o


新 仙台空港 撮影1970年頃 Gulf4


N69094 調布飛行場  撮影1981/08/15 
geta-o

TOP

 

 

JA5508 ビーチクラフトH18 508
  c/nBA751 N7025N
1967/11/11 JA5508登録 伊藤忠商事 定置場調布飛行場
1968/01/31 海上保安庁 定置場千歳航空基地
1981/07/09 抹消登録
  滝川市航空科学館へ貸与 展示 保管
2012年現在 撤去

千歳航空基地  撮影1978/08 CTsuga

千歳空港  撮影1980/03 CTsuga


滝川市航空科学館 2002/6/15 TRON

 

 

 

JA5509 ビーチクラフトH18  509
1969/07/29 c/nBA-762 N2079A
1969/10/20 JA登録 伊藤忠商事
1969/12/19 海上保安庁 定置場千歳航空基地
1981/02/19 抹消登録
1981 苫小牧市 ショップインいちいに展示
2004 苫小牧市 第二はくちょう幼稚園に展示

宮崎空港 撮影1980 T67M


苫小牧市ショップインいちい 撮影1995/07/27 TAIYOO



苫小牧市 第二はくちょう幼稚園 撮影2011/07/06 Takechan


 

JA5150 ビーチクラフトH18 150
1965/09/24 c/nBA-732  
1965/10/08 JA5150登録 運輸省 航空大学校練習機 定置場宮崎空港
1974/10/21 海上保安庁 定置場新潟空港
1981/04/08 共立航空撮影 定置場八尾空港
1984/06/20 君が淵学園 定置場熊本空港
  崇城大学教材
2012/04/13 抹消登録
2015/03 霧島市 国分城山公園に展示作業中

新潟航空基地 撮影1980/08/16 KUPANBA

八尾空港 撮影1982/05 KUPANBA

君が淵学園 熊本空港 撮影1984 興野博士 (AIR JAPAN誌より)

崇城大学教材 撮影2008/04/14 MAVERIC

国分城山公園 撮影2016/04/09 TR

 

JA5172 ビーチクラフトH18  72
  c/nBA763 N2080A
1970/01/17 JA5060登録 伊藤忠商事 定置場調布飛行場
1970/03/16 運輸省(航空大学校) 定置場仙台空港
1972/11/13 航空大学校 定置場仙台空港
1974/10/21 海上保安庁 定置場石垣航空基地
1975/07 定置場那覇航空基地
1981/06/08 木内一彦 定置場仙台空港
1985/05/30 抹消登録 
1987/01/16 N763C登録 CIRCLE RAINBOW AIR INC( ホノルル) 
1992/01/27 FAA抹消登録 フィリピンRP-C692登録

仙台空港 撮影1973/05/26 Prius737


宮崎空港 撮影1974/07 T67M



木内デンタルクリニック 登録名義木内一彦

仙台空港 撮影1981/07/29 T67M

 

JA5173 ビーチクラフトH18   173
1969 c/nBA-764 H18 N2088A
1970/01/17 JA5173登録 伊藤忠商事 定置場調布飛行場
1970/03/16 運輸省(航空大学校) 定置場仙台空港
1972/11/13 航空大学校 定置場仙台空港
1974/10/11 海上保安庁 定置場福岡航空基地
1977/06 定置場那覇航空基地
1980/02/22 定置場広島航空基地
1981/12/25 抹消登録 
 

N26493 パラオ
1982/10  グアム島アガナ飛行場での写真あり
http://www.goodall.com.au/beech18-production/images/Beech-H18-N26493.htm

1995/03/10 FAA耐空証明発行
  FAA耐空証明期限切れ
FAAのリストによれば、オーナーは、デラウエア州ウイルミントンで
SALE REPORTEDとある
1993/10/16 ホノルル空港で確認

JA5506と交替 広島空港 撮影1980/02/22 佐伯邦昭


交替式の詳細は広島航空基地のビーチH18の交替式参照

BA-764のその後  1993年ホノルル空港にて

 1993/10/16 航空情報主催のブルーエンジェルス展示飛行ツアーのオプショナルツアーで、ホノルル空港上空撮影ツアー搭乗待ちに撮影 Prius737

 海上保安庁の前輪式H13で外国へ売られたのはJA5173だけで、そのナンバーはN26493であり、FAAのリストでも製造番号BA-764で一致していますが、尾翼に残る三桁の数字173というのが不可解です。海上保安庁のナンバーを書き入れて展示でもしていたのでしょうか?(編集者)


 


2017/9/29 れあるさんからメール

 この写真、私には再塗装の下準備をしているように見えます。エンジン、ラダーそれに除氷ブーツ等を取下ろし表面の塗料を剥がしたら下から海保時代の塗装が出てきたのではないでしょうか。尾翼に残る濃い青色は海保マークを消す為に厚塗りした部分かと。


2017/10/03 HIROSHI ANDOさんからメール    安藤

 このH18について、少し情報があるのでお伝えします。

  以前一緒にボーイング727を飛ばして苦楽を共にしたハワイ島出身のカワサキ機長、(アローハ航空が倒産するまで機長を勤め、数年前モロカイ島のカラウパパでセスナ・キャラヴァンで水上不時着して一躍有名になった豪快な親友です)彼は長い間ハワイ州でそれはYS11から737、ツインビーチまで幅広く運行していた経験のある人なので、この写真を見せると、あれは、ボブ・ジャストマンと言う、現在ハワイアン航空の機長をやってる人の機体で、ジャストマンさんは以前このH18を使ってホノルルからフレンチ・フリゲート瀬と言う、ホノルルから北西に小型機で3時間の所にある小さな環礁にある政府の施設までのフライトをやっていた時期があったそうで、その後H18は大きすぎるとかで双発のパイパー・アズテック機に変えてから、合計400回以上もフレンチ・フリゲート瀬まで往復したそうです。因みにこのジャストマンさんも過去に自作小型機をエンジン故障で洋上に不時着させて奇跡の生還を成し遂げた人で、カワサキ機長と過去が似ています。


ハワイ航空業界の生き字引的存在のカワサキ機長
 

 話が前後しますが、ヒコーキ雲で紹介されているオーストラリヤのジェフ・グッドール氏のhttp://www.goodall.com.au/に、このH18がパラオに売られたと書かれてありますが、買主のロバート・エッチェル氏と言うのは米国本土の人で、この方は何故か南洋地域で学校, 協会やら病院を建設する会社の代表だったらしく、数年前に他界されています。調べると彼の仕事がパラオ、グアム、マイクロネシアのポノペイ、マーシャル諸島のマジュロにあったと書かれているので、パラオ近海での運送、またはグアムから北マリアナ領での何かの航空運送に使われたのかもしれません。その証拠にグアムで撮影されたとされる画像がグッドール氏のウェブに出ています(因みにパラオ・グアム間はH18で運行するにはキツイ距離です)。

 多分その後にハワイに機体が移り、ジャストマン氏の会社でフレンチ・フリゲート瀬までアズテックに変わるまで数回往復‥

 その次に出てくる名前がハッチソン・自動車・エヤ・運送と言う会社で、ハッチソンと言う名前は情報ありますが未だ未確認なので‥

 次はサークル・レインボーエヤと言う遊覧飛行の会社でこれはぼくも知ってます。ホノルルからマウイのハレアカラやらハワイ島へ行ききしていたツアー会社で、そこで遊覧飛行に従事したみたいですね。そのサークル・レインボーエヤで一旦、登録を切らせています。(USCRと記されているのは、United States Civilian Registryの事だと思います。何せジェフ・グッドール氏はオーストラリヤの方なので多少表現が英国的になっているのかもしれません)

 そして数年後、マスユー・バーネット氏に渡り同じ機体番号で再登録されています。このマスユー・バーネット氏は近頃ハワイアン航空の機長職から引退したお方で、ホノルルのラグーン通りの末でおなじみの、あの、スーパーDC3を運行するカマカ・エヤの創立者です。彼はハワイアン航空から引退後、米本土に移り今でもエヤー・タクシー業務でまだ飛んでいるそうです。

 その多分、バーネット氏の手元にあった期間が非常に短かったので、彼の会社の整備部門で、単純に整備・再登録だけを済ませたのかもしれません。そして直ぐ、また誰かの手に移り結局米国東部へこのビーチクラフトは移ります。

 本土に移ったのが1995年とされています。(それにしても星型レシプロエンジンの機体を世界で一番降りる所の無い・遠いとされるハワイ・米本土間を飛んで行ったのか、解体して船で送られたのか、非常に興味があります)

 米国本土に移って20数年、この機体は今、現存するだけではなく、誰かの手による整備・塗装が行われた様子で現在売りに出ています。
https://www.lionaerospace.com/LAI_Sale_Aircraft/LAI_Aircraft_Listing-1969B18H_N26493.html
動画 https://www.youtube.com/watch?v=ItUZucMVTOo&feature=youtu.be

 以上がこの機体の簡単な消息でした。


 カワサキ機長によると80年代の初めに日本から数機のH18が流れてきて遊覧飛行やら貨物輸送に使われたが殆どは廃機になったとか。言われてみれば、ぼくはH182機がオアフ島北側のデリングハム飛行場の裏地にあり、以前データプレートだけでも写真を撮ろうと行ったのですが、機内に大きな蜂の巣があったので退散してきた事がありました、いずれ機会を見て最訪問してこようと思います。 

 ジャストマンさんもバーネットさんも、まだお達者な様子なのでこちらもいずれ是非、お会いしたい方々です。

ジャストマンさんが九死に一生を得た洋上不時着の記事、写真入り:  http://archives.starbulletin.com/2004/01/19/news/index1.html

 

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