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図書室89

掲載18/06/02
追加18/07/10

 

  評  佐伯邦昭
不満1の修正とお詫び 
新 不満2・3に対する著者の言葉
新 所沢に渡った土井資料についての著者の考え方

 

 書名 航空機を後世に遺す
     歴史に刻まれた国産機を展示する博物館づくり
 著者 横山晋太郎
     元各務原市企画財政部航空宇宙博物館建設推進室主管
     元かかみがはら航空宇宙科学博物館参事

 体裁 A5判 271ページ 

 発行 2018年5月22日 

 発行 株式会社グランプリ出版

 定価 2400円+税

1 推薦のことば

・ 横山晋太郎さんは、各務原における航空機開発の先人達の業績を克明に調査
・  その結果、この地に設ける航空博物館は、各務原における航空機開発の実際を体現できる内容にすべきとの信念を確立
・ そのコンセプトに沿って航空機材の収集に大変な努力を傾注し、各務原はもとより我が国の航空機開発のおおよその歴史を学べる優れた航空博物館を建設し、運営に当った
・ 彼と彼に協力した人々の実績は、先人達の航空機開発事業に匹敵するほどの歴史的意義をもたらしている
・ 本書は、その経緯を克明に振り返ったものであり、館内の無言の実機たちが横山さんをして書かしめた立派な航空遺産の一つである


2 次に 少々意地の悪い写真ですが

         

 とても読みにくいです。このくらいのページ数になるとハードカバーにして花布と呼ぶ緩衝材を入れて開き易くしますが、ソフトカバーの本書は手でしっかり押さえていないと読むことができません。また、1ページ当たりの文字数が1245文字もあり、これは、例えば、同じ8ポイント活字を使っている航空から見た戦後昭和史の2.6倍もあって、読むのにかなりの根気が必要です。

 販売価格を抑えたいとする筆者と出版社の涙ぐましい折衝の結果であろうと、心中、お察し申し上げます。


3 そこで、お金と暇の無い方にお勧めなのが

株式会社グランプリ出版のホームページです。 長島宏行さんの推薦文と著者自身による巻頭言がPDFで載っており、著者が選んだと思われるページが15ページほど公開してありますので、本書の概要がある程度理解できるだろうと思います。販売に非協力で申し分けありませんが‥


4 横山さんが言いたいことは3点

 佐伯独自の判断では、横山さんが言わんとするところは、次の3点に絞られます。

その1 地方の一都市が設ける博物館の存立意義に筋を通すこと

その2 収集する航空機のオリジナリティに徹底的にこだわること

その3 その努力を自らに課して汗を流したことと、多くの協力者や奇跡的な偶然にも恵まれたこと

 大げさに言えば、どのページを読んでもこの3点が論じられており、失礼ながら、終わりの方は飛ばして読んでも構いません。
      


5 水嶋栄治さんの著作との比較

  我が国において、航空博物館の本質論に触れた書籍は、1989年に発行された水嶋栄治著 『 航空博物館とは何か? 所沢航空発祥記念館設計ノー』と今回の横山さんの本の2冊だけだと思います。
 両書を対比してみると何かと興味ある考えや行動に出くわします。横山さんも博物館構想を進めるうえで当然読んでいるでしょうから、以後、ちょいちょい触れておきます。(下段欄外の表参照)


6 第1章

 その1が 大いに強調されています。岐阜飛行場でSTOL実験機飛鳥を飛ばし、その際に各務原市職員の知遇を得たことが、航空宇宙技術研究所から各務原市職員に転身するきっかけになったことが分かります。
 しかし、必ずしも思惑通りには動かないのが世の常、人的な障害にたびたびぶつかります。専門知識を持たない公務員による企画会社への安易な委託がもたらす弊害の箇所は、地方自治体の多くのトップに読んでもらいたいとろです。


7 第2章 第3章




 横山さんが、各務原の航空歴史を調査しながらまとめていった我が国航空機開発の流れ図は、歴史研究の基本に通じるものであり、これなくして、博物館が航空史を語るなかれと言っても差し支えないでしょう。


8 第4章  第4章 



 その3が綿密に語られています。 例えば、最後のT-33ジェット練習機221号機の岐阜基地からの引っ越しは、ヒコーキ雲の空輸のエピソードのとおりですが、いずれの場合も、まるで奇跡が起こったように関係者の協力があり、これは、横山さんの熱意というか殆ど妥協を許さない姿勢が大いに反映しているものと感じます。
 所沢が、元陸自の将官に頼って収集したために、一見、陸上自衛隊航空展示館の様相でオープンしたのと対比してみてください。

 しかし、疑問に思うこともあります。水嶋栄治さんの記述では、土井武夫さんが、1991年に約100枚の図面を所沢航空発祥記念館へ寄贈するよう申し出ています。1991年というと、飛鳥の各務原市への貸与が決まった年で、各務原市では飛鳥を中心とした博物館建設構想が生まれていました。航空宇宙技研で飛鳥担当であった横山さんは、市職員に提供する上記の航空開発の流れ図を熱心に作成していた時期です。
 川崎重工の顧問であった土井武夫さんに対して、自ら或いは市職員をして博物館構想を説明させる気持ちは無かったのでしょうか。土井さんも、当然ながら博物館構想を知る立場にあったはずですが、何故、わざわざ所沢への寄贈を申し出たのでしょうか?
 また、所沢が収得してしまった後でも、横山さんに各務原に必須の史資料として返還を求める気はなかったのでしょうか。敢えて説明を避けているような気がします。


9 第5章



 スミソニアン航空宇宙博物館を訪問したこと、また、同館で晴嵐の復元作業に従事した長島宏行さんの知遇を得たことによって、その2のオリジナリティに執りつかれたみたいです。本書中約30か所に「オリジナル」の単語が出てきます。

 保存して遺すべき機体は、ある時期でのオリジナルでなければならない、それは、水嶋さんもシアトル航空博物館館長から教えられて特に強調していますが、所沢では、諸種の圧力の前に挫折しています。
 各務原では押し通しました。通常訓練機時代のT-33Aの塗装を剥がしてみたら、初期の型紙による日本文字が出てきたので、それをえどって型紙を作りペイント、横山さんはそこまで徹底したのです。


10 第6章

 清水市の三保海岸でボロボロになっていたUF-XSを救い出したことも飛鳥と並んで特筆すべき功績でした。九七飛行艇、一式飛行艇の基礎の上に短距離離着水と耐荒波性の技術を確立し、PS-1、US-1、US-2へと飛躍させた土台となる記念試験機だからです。ですから、新明和工業のOBや現職が喜んでその復旧に当たってくれたといいます。
 それに対して、地元川崎重工はやや冷淡であったようです。上記目次の「修復びっくり大事件」に、複合材ローターの実験後、通常型に戻され北海道に展示されて痛んでいたOH-6ヘリコプターの点検を川重に頼んだら、内外ともにピカピカの新品同様にされてしまったというケースが紹介してあります。
 川重が、知覧にあった飛燕を各務原に持ち帰り、丁寧にオリジナルに復元したのは、そんな反省があったからでしょぅかね。


11 第7章



 私は、どこの博物館へ行っても、実物大模型というのに殆ど興味がわきません。成田に「二宮玉虫型、アンリファルマン機]、青森に「航研機」、所沢に「会式一号機、ニューポール81型E2」、そして各務原に「グラーデ機、乙式一型偵察機、十二試艦戦」とありますが、製造の過程で往時の技術水準を知るメリットがあるにしても、作ってしまえば、単なる模型に過ぎない。ソリッドやプラスチックの縮尺模型と大同小異ですから。

 シミュレーターについても同じ考えです。予算の関係で子供だましみたいな装置で操縦体験させようという発想がいやしいです。成田のDC-8のように実物に専門家を配置してやるなら別ですが。


12 第8章 第8章

 2001年に、T-1試作1号機をスクラップ寸前に芦屋から救い出したのも横山さんの手柄ですが、本書刊行の時期になっても「博物館の倉庫に取り敢えず安住の地を得たのである。」の状態のままというのが、如何にも気に食わないです。所有権は東文研か日本航空協会にあるらしいですが、両団体に深く関与している横山さんが、何故、展示を強力に働きかけないのかと言いたいわけです。図書室02の論文を参照してください。


13 第9章、第10章 

 まことに非常識な人物が市長に就任して、横山さんを他の部署に移してしまい、博物館廃止の危機すら生まれて館内が荒れた時期がありました。この時、小山澄人さん、青木典夫さんほか熱心なボランティアが踏み止まって観客への説明や展示機の維持管理を続け、企画展を手弁当でやり遂げるなどの働きがあって切り抜けたことを評者は知っております。ここは、詳しく書いてほしかったです。


14 第10章、第11章 

 さて、第9章あたりまで読み進んでくると疲れてしまって、もう、飛ばし読みです。それで書評を書くとは失礼千番となりますが、私の挙げた その1 その2 その3 の論調は既に言い尽くされて おり、またかという感じ無きにしも非ずです。よって、次のさわりだけの紹介でご勘弁願います。

最後に不満を少々、観方が間違っていれば訂正します。

不満1 修正しお詫びしました

 リニューアルオープンで岐阜かかみがはら航空宇宙博物館と名称が変わりましたが、それまではかかみがはら航空宇宙科学博物館 英文KAKAMIGAHARA AEROSPACE SCIENCE MUSEUMであったはずです。しかし、本書では、38ページに『かかみがはら航空博物館』と記して以降、科学の文字を抜かしたままで使っています。これはどうしたことでしょう。成田、所沢、三沢を手掛けた日本科学技術振興財団が成田と三沢に科学の文字を使っているので、それとの混同、即ち、日本科学技術振興財団と俺たちは違うのだという意識の表れかもしれません。でも、固有名詞は正確に使ってほしいです。
不満1の修正  修正1

 不満1に関して、横山さんと青木さんから意見がありましたので、私も調べ直しました。

 私が実際に入館した時のチケットにちゃんと変遷がありました。

 事実は、1993年にかかみがはら航空宇宙博物館でスタートし、2007年4月1日に条例改正によりかかみがはら航空宇宙科学博物館となったのでした。

 館名変更つまり条例改正を指揮したのが、13のところに書いているまことに非常識な人物が市長に就任して、横山さんを他の部署に移してしまいの森 真市長でした。旧社会党が勢いがあった頃の各務原市長(1997〜2013)で、この博物館を市のお荷物くらいにしか考えていなかったらしいです。社会党は、F-4EJから空中給油装置などをはずさせて大戦果をあげたと(国を危うくする)愚策に有頂天になっていた時期ですから、軍用機開発が大きなウエイトを占める各務原航空史を嫌っていたのでしょう。

 科学を入れたのは、航空に特化しないという意思表示でしょうか?

 横山さんは、そのことに触れておらず、科学を抜いた名称で統一しています。森市長に対する無言の抗議であると受け取っておきましょう。不満1については、全文を取り消して、横山さんにお詫びします。

 


不満2

 巻末に写真提供者へのお礼として、佐伯邦昭、池上壽和、和田一也の名が載っています。私は、池上さんと和田さんを紹介しただけで、自ら写真を提供したわけではありません。そこに名前を載せてくれるよりも、参考文献の中に「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲 http://dansa.minim.ne.jp/index.htm」を明記して貰いたいです。それは、横山さん自身が、私宛のメールに次のように書いているからです。

 「このたびの出版に関しましては、各航空機の初飛行の場所や年月日や、どうしても入手したかった写真が見つかるなど、ヒコーキ雲さんにはずいぶんと助けられました。今やわが国の航空に関する巨大なデータベースが構築されており、その偉力に改めて感服いたしました。」

 それほど参考にされたのに、参考文献で無視とはひどい落ち度です。
新 不満2に対する横山さんの言葉  不満2

 著作にあたっては、メールにあるようにヒコーキ雲にどれほど助けられたか分かりません。文献引用欄にも記載するべきことで私の落ち度で大変失礼しました。再版がある場合は、記載させていただきます。

 


不満3 

 おびただしい写真の中に、JAXA、日本航空協会、中日新聞社、川崎重工、〇〇自衛隊、○○博物館の名が提供者として記載されているものもありますが、大半は、誰が提供したのか分かりません。ご自分の写真以外は、出典を明記するのが礼儀というものでしょう。
新 不満3に対する横山さんの言葉

 当初は各写真に提供者のお名前を提示していたのですが、提供者に迷惑がかかる場合があると編集者から指摘がありました。撮影者が特定されると、撮影者に問い合わせがあったり、中には撮影についてクレームをつけたりするなどのことがあり、かえって迷惑がかかるとのことでした。このような訳で個人の提供者にはその旨を連絡して了解を得て巻末に記載しました。また、ネット上から入手できる公的機関の写真は、写真ごとに名前を記載しました。

 

 

新 所沢に渡った土井資料についての横山さんの考え方  土井資料

 第4章で、土井武夫さんの資料にふれておられますが、本来、各務原で収集したかったのですが、間に合いませんでした。資料が危機に瀕しているなら返還なども考えられますが、しかるべく公的博物館に納められているのですから安心しております。所沢の航空発祥記念館には、飛燕の図面など、何度か資料をお借りしました。博物館同志の信頼関係による貸し借りは、現在も続いていると思います。

評者の見解 : 土井さんの相続人の了解が得られるなら、飛燕の資料は各務原へ戻され、展示中の復元飛燕等に関する重要資料として将来にわたって活用されるべきものと考えます。所沢航空発祥記念館がその都度貸し出すというのは、学術上どこに置けば最良の処置なのかをわきまえない思い上がりであるとともに、各務原の消極性を示すものと断じておきます。

 

 

 

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所沢航空発祥記念館

水嶋さんが担当した時期

 

計画段階

建設

オープン 
かかみがはら航空宇宙科学博物館  

       横山さんが担当した時期

 
 

計画段階

建設

オープン 
 


鹿屋航空基地史料館 オープン

        航空科学博物館  

オープン

           都立航空高専展示館

オープン

                        石川県立航空プラザ

オープン

                           千葉市立稲毛民間航空記念館

オープン         18/03/31閉館

                             航空自衛隊浜松広報館エアパーク

オープン

                                            青森県立三沢航空科学博物館

オープン

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