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謝 辞 2018/03/08 佐伯邦昭

  日本の航空史発掘に貢献した長島宏行さん 日本航空協会を退職 


 


長島宏行さんの功績 その1

 長島さんが90年代の初め頃、スミソニアン協会の国立航空宇宙博物館の修復施設ポール E バーガー ファシリティで晴嵐の修復に携わり、その経験を日本に普及させた功績は顕著なものがあります。航空機修復の基本は、徹底したオリジナリティの尊重であり、そこから製作当時或いは使用当時の日本文化 、その一端を担った航空産業の実態が見えてくるという哲学を指導したのです。
 所沢航空発祥記念館の九一戦然り、後述のかかみがはら航空宇宙博物館の飛燕また然りであります。 もし、彼の関わりが無かったら、見栄え優先の素人受け修復展示で終わってしまっていたと言うと言過ぎでしょうか。
 参考文献 ホーム航空機遺産の保存と活用、Conservation of Japan's Aircraft


長島宏行さんの功績 その2

 2004年、日本航空協会に航空遺産継承基金が設立されました。個人所有品など博物館活動などでは収集に限界がある紙資料や写真などあらゆる航空資料の散逸やゴミ処分を防ぎ、後世にきちんとした形で残そうという目的です。
 不肖佐伯も設立と同時に趣旨に賛同して協力を続けていますが、月次報告によると航空発祥以来の関係者やその遺族縁者などから資料が続々と寄せられている様子です。それによって航空史の空白が埋められ、例えば男爵の愛した翼たちそれでも私は飛ぶ翼の記憶1909-194068、待望のJ-BARD発行など果実を生み出しつつあります。
 航空遺産継承基金設立は長島さん一人の手によるものではないでしょうが、多分、彼の説得無くしては 、実現しなかったのではないでしょうか。


長島宏行さんの功績 その3

 知覧の祈念館に特攻機仕立てという科学的根拠の薄い形で展示されていた飛燕が、川崎重工各務原製作所でオリジナルに徹した姿に復元され、リニューアル後のかかみがはら航空博物館に永久展示されることになりました。川崎キ61三式戦U型改飛燕(6117)の戦後史参照
 これには、多くの方々が熱心に取り組みましたが、私の知る限りでは、常に長島さんの影があり、いい加減な処置を決して許さなかったはずです。そのことで、土井技師の苦心や往時の航空産業の姿が改めて見えてくるようになったのではないでしょうか。

 そんな意味で長島宏行さんは、日本の航空史発掘に大きく貢献した人の一人であり、その努力に心から敬意を表します。ご苦労様でした。


 さて、褒めることばっかりでは彼が恐縮するでしょうから、一言苦言を!
 6年前に発した佐伯の公開質問状に対する航空遺産継承基金の回答、未だ確実に実行されている気配を感じません。飛燕の大移動や大修復など多忙を極めた退職前であったとの言い訳もありましょうが、そうしているうちにも展示機はどんどん失われていきます。しっかり引き継ぎを終えていますか?

  人生録44 もの申します [公開質問状 日本航空協会航空遺産継承基金に問います ]