HOME  SITEMAP 日替わりメモ 山梨県目次 自動車博物館飛行館トップ
 
 
 
A3931-02 山梨県 南都留郡鳴沢村富士櫻高原 河口湖自動車博物館飛行館
         Kawaguchiko Airr Museum, Narusawa-Mura, Yamanashi Prefecture  

             
飛行館外 実機展示及びスクラップ置き場の変遷

撮影時期

2003年以前
2004年
2005年
2007年
2008年
2009年
2011年

2018年

 2021年


 

2003年以前  撮影FA300、Ogurenko、にがうり、ELINT人
 

建物正面


ロッキードF-104DJ 26-5007 (自動車博物館玄関上屋)  経歴は参照


ノースアメリカンF-86F-40 02-7970 経歴航空自衛隊F-86研究参照


カーチスC-46D 61-1127 経歴は八王子市参照


ロッキードT-33A 51-5639  その後ろの胴体はグラマンS2F-1トラッカー

どっちが本物か?

撮影2004/08  HAWK  

”どっちが本物”について ねこまた重工株式会社さんから

 私も2004年8月11日に見に行った際に気付きました。よく見比べますに、ボロボロの物が本物で機体に付いているものは複製品と思われます。理由は機体に付いている物には全くファスナーラインが見られないからです。本物ではレジ番の上下や「6」の字を縦に貫いてファスナーラインが通っていますが、機体の垂直尾翼には全く見られません。
 恐らく複製の方法も機体構造を忠実に再現した物ではなく、それらしく見えるように全く別の構造で作られたものと判断します。(ファスニングや溶接では外板に必ず歪が出ますので、接着で作られているのではないかと思います。)
 「ファスナー頭をきれいにシェービングして、シーラントで成形した上から塗装をしたのでファスナーラインが見えないのかな」と好意的に考えましたが、復元された零戦(注)の主翼上面を見ても明らかなように、ファスニングをすれば必ず打鋲歪が出て、どこに構造部材があるか一目で分かるものです。
 この他にもスクリューで留っているアクセスパネルをブラインドリベットを混在させて留めていたり、リベットの径やピッチがいい加減な修理が目につきました。零戦はまじめに復元されているようですが、それ以外は手が回らないようです。


× ノースアメリカンT-6F 52-0010

詳細は 守屋登氏の遺志を継いで復元されたノースアメリカンT-6F 52-0010 参照

故守屋登氏のアルバムより 撮影年月日不明   提供 A7M3-J

2004
 

デハビランドDHC-2ビーバー JA3080

1953/07/25 c/n543
1954/01/06 JA3080登録 アジア航空測量株式会社 定置場藤沢飛行場→調布飛行場 
1975/06/24 抹消登録
  東海大学航空宇宙科学博物館に屋外展示
2004現在 河口湖自動車博物館 廃機置き場に保管.

    現役時

青森空港 撮影1970 Blue1


撮影2004/08/11 ねこ重 


レークLA-4-200 バッカニア JA3663

撮影2004/08/11  ねこ重  


ビーチクラフト双発機

撮影2004/08/13  Ogurenko


色が変ったボンネットバス 

撮影2004/08/11  にがうり

2005年 撮影2005/08/15 HAWK

 屋外に今年はH−19がありました。また昨年は見つける事が出来なかったビーチクラフト機もじっくり見て来ました。この機体はF-86の背後にあって丁度死角になるんですよ。かなり立ち入って撮っていますが勿論許可を得て入りましたので問題はありません。

撮影2005/08/15 HAWK 奥の胴体、手前の赤青の垂直尾翼 、右尾翼の後ろにあるエンジン部とプロペラ 

撮影2015/08/08 Blue1






シコルスキーH-19C 40012

撮影2005/08/15 HAWK


グラマンS2F-1

撮影2005/08/15 HAWK


 

2007年 撮影2007/08/30 佐伯邦昭

撮影2007/08/30 佐伯邦昭

撮影2007/08/30  佐伯邦昭


プロペラ 型式不明


◎ ノースアメリカンF-86F-40 02-7962 (7960と表示) 航空自衛隊F-86研究参照   7962

撮影2007/08/30 佐伯邦昭
 


(以下、ヒコーキマニア人生録・図書室25から)

 河口湖自動車博物館飛行館の外まわりは、車などの展示が少し変わっていました。

 バスがいた位置に3翔のプロペラ(詳細不明)があり、三輪トラックと消防車が増えています。その他のF-86の胴体、C-46D、自動車館屋上のF-104DJは変わりなく、向って左側囲い内のF-86FとT-33Aの展示、ビーバー、トラッカー、ビーチC18Dなどの(貴重な)ガラクタもそのままでした。館内は、本年の公開終了一日前にしては入場者が少ないように思えましたが、天候の影響もあったのでしょう。入館料1000円を払って「入場券です」と渡されたのが絵はがきでした。カラー写真は靖国神社へ奉納された零式艦上戦闘機52型を飛行機館前の駐車場で写したものと思います。

 入場券は、下手な切符よりも人々はこの方を喜ぶと思ってのことでしょうが、山梨県の税務関係の方が見付けたらちょっとした騒動になるような気もします。いや、そんなことには首を突っ込まないのが大人のマニアだよと言われれば、引っ込みます。

 今年の公開の目玉だという2機目の52型は、スピナー無し、エンジンカウリング無し、主脚無し、エレベーターとラダーが骨のままで羽布張り前という状態で低い台車の上に載せられ、我々の目線で水平に観察できるようにしてありました。もう1機の白い塗装の22型は、翼端を折り曲げてあり、その断面に熊谷航空工業株式会社 部品番号4611 熊航第649号というプレートが残っています。

 その他、たくさんの機体と発動機・プロペラがあり、初見算の者として一通り写真も撮りましたが、当ホームページへの発表は禁じられたままですので、(何故かたくさん載せている)他のサイトをご覧いただきたいと存じます。その件に関し、受付の男性に聞きましたら、ホームページに載せて良いことになったかどうかは知らないので、飛行機館公式ホームページにメールアドレスが書いてあるからそこから聞いて貰いたいとのことでした。帰宅して公式HPを何度ひっくり返してみてもアドレスは見当たりませんです。
 (掲載不許可の件は 上記日替わりメモ参照)

 更に、自動車館の方でトイレを拝借するついでに原田館長がいらっしゃるかどうか尋ねましたら、来客中で30分待ってくれということでしたが、残念ながら東京に帰る時刻が迫っているため、お会いするのは断念しました。でも、受付での物品販売状況くらいならHP発表に目をつむって頂けるものと思いますので、零戦の超々ジュラルミン部品が如何に高価なものかという例示までに紹介しておきましょう。確か3万円から3千円まであったように思います。一見ガラクタを結構な商売にしている人が、あちこちに居ると 聞きます。

 館内の休憩テーブルで、声高に話しをしていらっしゃる方がいて、撮影中にも聞こえてくる内容は、第二次大戦機に大変に詳しく、いろいろな情報をお持ちのようでした。私も、少しの間加わりましたが、北海道深川市にあった全日空のダグラスDC-3 JA5024の結末について、我々が隠し通している事実をさらりと言ってのけたのには驚きました。やっぱり情報というものはどこかで筒抜けになるのですね。(だからといって、私は時効になるまでは当事者に約束した内容を一方的に明らかにする気はございません。)

 私にとって待望久しかった飛行機館の自己流紹介は以上のとおりです。

 これだけの退役機体や南方島々の残骸スクラップを集めて、殊に零式艦上戦闘機3機分、九三式中練1機を正確に復元している原田さんのご努力には頭がさがりました。欲を言うならば、やや雑然とした館内展示から一歩抜けて、航空史、技術史に区分した歴史の検証の跡を教育的に見せる展示館にしていって頂けるならばいいなと思いました。また、富士桜高原という地の利を活かして、全国の航空博物館関係者による「航空機の復元と展示」に関するシンポジュウムを開き、横の連絡がきわめて希薄な航空機展示関係者の問題意識の共有とレベルアップを図くれたらなとも思いました 。

 

2008年 撮影2008/08/31  小規模板工房

カモフ Ka-26D 同軸反転ローターヘリコプター  JA7992

参考 撮影2004/08/11  ねこ重

 

参考 撮影2004/08/12  ドルフィンライク テールブームの文字拡大 EROFLOT

JA7992であることについて 2008/09/13

 シーナさんから1998年株式会社タクト・ワン発行「日本ヘリコプター事典」及び「さっぽろの翼」札幌市消防航空隊情報サイトhttp://ryuta111.hp.infoseek.co.jp/等による詳しい情報を頂きました。それによって、日本に在籍した4機のカモフKa-26Dをもう一度整理しておきます。そして河口湖自動車博物館資材置き場にある機体は元JA7992に間違いないものと確定いたします。

登録記号  製造番号 所 有 者  新規登録 抹消登録 抹消理由
JA7990 7303804 坪井一郎 1974/01/17 1987/05/13 用途廃止
(航空科学博物館展示中) 
JA7991 7605620  朝日ヘリコプター 1977/03/11 1979/10/12 事故(1979/06/09徳島) 
航空事故調報告あり
JA7992   7806504  森川商事 1979/09/06 1981/05/20 事故(1979/10/19桶川)
航空事故調報告なし 
JA7993 7806505 朝日航洋 1979/09/06 1989/12/12 用途廃止 (中田商店保管)

 JA7992JA7993は、 東京ヘリコプター(代表 城三彦)が1979年に森川商事を通して2機を輸入し、農薬散布機として桶川で整備して耐空証明を取りました。しかし、JA79921979年10月19日台風20号(和歌山に上陸して本州を縦断)によってに横転大破し、8か月後の翌年5月20日に抹消登録されました。これにより東京ヘリコプターは倒産を余儀なくされ、無事であったJA7993森川商事が朝日ヘリコプターへ振り向けたものと思われ、同機は左右にパイプを張り出した農薬散布専用機として老朽廃棄まで活躍しました。大破したJA7992は河口湖自動車博物館が引き取って資材置き場に保管してあります。

 東京ヘリコプターの城三彦氏は、森川商事あるいは○○文男、笹川良一といった人々とつながりがあり、当時の共産圏との貿易にタッチしていたとか、いないとかの噂(各種掲示板に書いてある)もあります。

 1979年10月19日台風20号による横転大破については、航空事故調査委員会の調査報告にあがっていません。航空事故に該当しないのでしょうか。政治力で抑えたのでしょうか。それもよく分かりませんが、河口湖自動車博物館修理部品も保管しているらしいので、抹消登録するまでの8か月間に部品を手配していたのかもしれません。そのあたりの事情も不明です。また、テールブームのAEROFLOTの文字も大きな疑問として残ります。更に青い塗装が、輸入時のものか、桶川で塗り替えたものかも分かりません。

 以上、08年9月4日以来続けてきた河口湖自動車博物館のカモフKa-26Dの戸籍調べですが、対共産圏輸出規制(ココム)との関わりがある人物の名前が出たりしますので、ヒコーキマニアの一線を越えて危険水域に入らないように打ち止めにしたいと存じます。貴重な情報提供の皆さん、ありがとうございました。

 


 

ノースアメリカンT-6かSNJ 機番不明 

撮影2008/08/31  小規模板工房 


デハビランド DHC-2ビーバー JA3080 

撮影2008/08/31  小規模板工房 


レーク LA-4-200バッカニア JA3663

撮影2008/08/31  小規模板工房 


愛知 「アツタ」水冷倒立V型12気筒エンジン 3基 

撮影2008/08/27  にがうり


日替わりメモ2008/08/30

 河口湖自動車博物館飛行館のアツタエンジン   BUNさんからメール

 彗星の「アツタ」(熱田ではなくカタカナが制式名称)発動機の件ですが、海軍が彗星試作一号機に搭載したのは燃料噴射式のDB601ではなく、気化器式のDB600で、ライセンス購入交渉は昭和11年に結ばれています。燃料噴射式のDB601のライセンス購入は昭和14年ですから、全て彗星の試作機完成前のことです。また河口湖にあるアツタは実機に搭載されていたものと考えられます。何故なら、実機に搭載されていたと思われる痕跡があり、各接続部がそれぞれ変形して新品の予備発動機のように整然とはしていません。話に聞いた通り、実機残骸からの回収品なのだと思います。

 「日本に航空水冷エンジンの基礎技術が無かった」とのことですが、空冷二重星型発動機が成功するまで国産の軍用航空発動機は水冷列型が主力です。栄や金星の完成で水冷発動機から空冷主体に移行できたというのが日本の発動機開発の大まかな流れになります。そして地震や空襲被災、工場疎開の前に愛知での彗星生産は空冷型に移行しています。 

 ちょっと気になりましたのでお知らせいたします。

2009 撮影2009/08/21 MAVERIC 

 8月21日 河口湖自動車博物館を見学してきました。日本航学園山梨キャンパス直近の塩崎駅を出発し、中央線の大月駅で富士急行に乗り換え、河口湖駅まで約2時間半の各駅停車鉄道の旅でした。駅に着いてから観光協会に行きタクシー以外で河口湖自動車博物館に行く方法は無いか聞いてみると、本数は少ないが別荘を回る無料のバスがあり博物館前に停車しますと聞いたのでそれに乗ることにしました。

    富士急行河口湖駅
    

博物館入り口  右側に3っつある看板の一番奥がバス停



富士桜高原バス 京王1次入口バス停
    
    



飛行館全景  ボンネットバスの塗装は2007年と変わっておらず駐車位置が変わったのと、三輪トラックとタンクローリーがなくなっていました


F-86F-40  変わらず


F-104DJ 26-5007  変わらず


C-46D 61-1127  変わらず

屋外に3翔のプロペラ以外にT-33尾翼・キャノピー・何かの機首部分?などが置いてありました




航空館入口掲示  ここを通った後の撮影写真はネットに掲載できません

 中には今にも飛び立ちそうな零戦2機・2枚翼の93式練習機がピカピカの状態で置かれており、後部胴体だけですが一式陸攻も置かれています。天井には多数の飛行機が吊るされており、零戦などの大戦中の航空機のエンジンや各種航空機部品がゴロゴロしています。全国の大戦機フアンは一見の価値があると思いますので、今から来年8月の旅行計画は河口湖と決めていたほうがいいと思いますよ。

    館内から内庭に出られます 内庭にある機体はネット掲載OKです
    T-33A 51-5639  変わらず
    

    F-86F-40 02-7962  変わらず
    

    S2F-1? 機体番号不明  変わらず
    

    H-19C 40012  機首部扉が閉まりました
    

    ビーチクラフト機2機? 機体番号不明  変わったかどうか見えないしゴチャゴチャしていてわかりません
    

    トラックに積まれた翼2枚(機種不明)
    

撮影2009/08/21 MAVERIC  屋外に3翔のプロペラ以外にT-33尾翼・キャノピー・何かの機首部分?などが置いてありました

 

2011年 撮影2011/08/15 インプラント
2011年

 F-104DJの前の木の枝が切ってあり、やっと全体をクリアに撮影できるようになりました。きっと枝を切ってくれとリクエストした人がいたのでしょうね。

 

2018年 撮影2018/08/24 Blue1
2018年

T-33Aの胴体とキャノピー

 スクラップ類の中にキャノピーを被った胴体の一部。2009/08/21MAVERICさん撮影で「T-33尾翼・キャノピー・何かの機首部分?などが置いてありました」としているように私も当初はそのように思いました。細身の機首、先はノーズコーンが付いている、マルヨン?そんなことはないなぁと。 

 写してきた写真をじっくり見て、これはT-33Aの胴体後部だと判断。細い方の円形断面は排気口部だ。では上部の広い開口部はと言うと、垂直・水平尾翼の取り付け部のフェアリング取り付け部だと判る。

 2015年の訪問時、2018年にもややこしいことにT-33Aのキャノピーを被せてある。T-33Aを詳しく知らない方々や、一般の方々は、この姿を一見し、コックピット部と早合点しても不思議はない。  すぐ傍に同機の水平尾翼や垂直尾翼の下部をヒントとして置いてあってもだ。 館側の謎かけの演出なのか、はたまた遊びなのかは不明。 この尾部の本体はスクラップ状態の本物の「51-8639」機であろうと思う。 



 2021年 撮影2021/08/22  酒井収
2021年

展示/保管機体現況

 展示機体状況に大きな変化はありません。
 T-6で紹介されていない機体がありました。 

カーチス C−46D 61-1127 資料リンク







ノースアメリカン F-86F-40-MIT 02-7962  資料リンク


ノースアメリカン F-86F-40 02-7970  資料リンク

 02-7970の主翼と思われるものが立てかけられている


ロッキード F-104J 26-5007  資料リンク


シコルスキー H-19C 40012   資料リンク




グラマン S2F-1 トラッカー  詳細不明




ノースアメリカン T-6F 52-0098  資料リンク1 資料リンク2




ロッキード T-33A 5639  資料リンク