1950-3 新明和興業 新明和
新明和興業(工業)略史
1947/07 |
川西航空機株式会社を明和興業株式会社に変更 民需製品を生産 |
1949/11 |
社名を新明和興行株式会社に変更 民需製品を生産 |
1950 |
朝鮮特需により甲南工場で航空機補助燃料タンクを生産 |
1954 |
伊丹工場開設 ジプシー クイーン型発動機のオーバーホールを開始 |
1955/08/15 |
米海軍機のオーバーホールを受注 トップはフェアチャイルドR4Q |
1956 |
米海軍機のオーバーホールの第2弾 バートルHUP |
1960/05 |
新明和工業株式会社に社名変更 |
1971/12 |
伊丹工場廃止 全日空整備株式会社に譲渡 |
鈴鹿海軍航空隊の格納庫の払い下げを受けて建設した新明和興業オーバーホール工場
最初期の伊丹工場 撮影1954年8月頃 世界の航空機1954年10月号
米軍宿舎俯瞰と最初期の伊丹工場 撮影1954年 提供碇 紀夫
最初の作業は、デ ハビランド社のジプシー クイーン型発動機のオーバーホールであった
撮影推定1954年8月頃 世界の航空機1954年10月号
ジプシー クイーンの試運転台 マリネ
米軍機オーバーホール最初の受注は、フェアチャイルドR4Qであった
撮影1955/08/15 世界の航空機1955年10月号
フェアチャイルドR4Q-1 R4Q-1
用水路をまたぐ新明和と滑走路をつなぐ誘導路上、遠くに当時の全日空格納庫が見える フェアチャイルドR4Q-1 提供関西航空史料研究会
フェアチャイルドR4Q-1 濱野博司
米軍機オーバーホール第2弾 バートルHUP
世界の航空機 1957年1月号
バートル HUP-2 撮影いたみん パイアセッキ
バートル H-21 54171 撮影いたみん
1956年 工場増設許可申請書の図面
A 赤い部分の増設許可申請書の図面と思われる 提供関西航空史料研究会
B その見取り図 提供関西航空史料研究会 手前のハンガーは1956年7月、エンジンショップは同年9月完成
C 正門 提供関西航空史料研究会
C D 航空写真 提供関西航空史料研究会
E 航空写真 提供関西航空史料研究会
解説 山内秀樹
A図のNo.1ハンガーの正面のスライドドアーが左に重なって引き開けられていますが、後にP2V-5Fのオーバーホールを受注した際に、垂直尾翼が通過できるように中央部の上端に切り込みを入れました。
C図の正面ゲート、海上自衛隊の駐在検査官であった友人の父親に連れていってもらった時もここから入りました。間近にパーキングしている機体があって、ドキドキしたものです。
D図の豊中伊丹線(通称伊丹街道)に沿って3つ等間隔で白い塊が並んでいますが、これが航空用ガゾリンの集積タンク。飛行場の西方(写真では右方向)を南北に流れる猪名川の超えて、猪名川の西側を南北に走る国鉄福知山線の伊丹駅の引込線脇からパイプラインでこれらのタンクに送油していたそうです。
E図は、飛行場の北に回り込んで、北側からの撮影。この写真から既にこの当時はRWY32は左半分(RWY14で言えば右半分)しか滑走路として使用していなかったことが判明します。(そういえば、左半分を使用して離着陸している間に右半分の舗装工事を行い、その工事が終わると右半分で離着陸させながら、左半分を舗装する等をしていたようにおもいます。)
東の文字の左のエプロンに7機ほど見えるのは67TRSの真っ黒けのRB-26C。 東西方向に走る旧滑走路は、32-14滑走路の嵩上げ工事で段差がついて使用できなくなりましたが、西風の強い時はC-47がこれを利用して着陸したのを見た覚えがあります。
戦争中に完成した伊丹飛行場は陸軍56戦隊などが常駐していましたが、編隊離陸を行うため滑走路の幅は相当広くとってありました。それが、朝鮮戦争当時から滑走路として使用しない元滑走路を広いエプロンとして使用し、今から思えばびっくりするほど多くの機数が並んでいました。
1st MAWが岩国に移動するまでは米海兵隊の基地でしたから、主翼を折り畳んだF4U,
AU, F9F, F2H, AD等の艦上機が黒々と、(本当はシーブルーの塗装だったのだろうが、子供の目には真っ黒けに見えた)がズラーッと。それに混じってP4Y-2プライバティアの高い垂直尾翼がそびえて。圧倒的目立ったのは銀色の輸送機。C-46, C-47, C-54, C-119、当然海軍型のR5C,
R4D, R5D, R4Qも混じっていたはず。
米海軍と海上自衛隊のビーチクラフト JRB-4
航空情報1957年3月号 JRB-4とSNBの呼称については山内論考参照のこと
ビーチクラフトJRB-4 撮影いたみん JRB-4
ビーチクラフトJRB-4 カー6407 撮影いたみん
航空情報1957年7月号
ビーチクラ
ビーチクラフト JRB-4 ダグラスC-47 1960年代初期 撮影高田和彦
正門から覗いて写す 1960年代初期 撮影高田和彦
山内秀樹さんの調査によれば、海上自衛隊のJRB-4(SNB)になった35機のほかに、スペアとして少なくとも下記の6機が確認されています。この写真では、そのうちの3機のナンバーが見えます。
海自へ供与のスペア機
(米海軍ナンバー) |
この写真で確認できる機体 |
1 |
44571 |
- |
2 |
44627 |
所属 NARTU
LAKEHURST |
3 |
44647 |
- |
4 |
44653 |
所属は不明 |
5 |
44672 |
- |
6 |
44682 |
所属 NAS NART AKRON |
即ち、米軍が海上自衛隊に供与したJRB-4は、少なくともこの6機を加えた機体が新明和興業に持ち込まれ、35機が整備されて海自機(シリアルナンバー6401〜6435)となり、残りは、部品取りの後、ここで解体処分されたものと思われます。
ウエストランドシコルスキーS-51
SWS-5151
ミ-8831 撮影いたみん
ミ-8833 撮影いたみん
デ ハビランド DH-104 ダブ
デ ハビランド DH-104 ダブ 撮影1950年代 中井潤一
ダグラスDC-3 DC3
ダグラスDC-3 JA5024 極東航空 大和 新明和伊丹工場 提供関西航空史料研究会
JA5040 極東航空 薩摩 新明和伊丹工場 撮影1957 いたみん
ハンドレページ 1A104 マラソン
ハンドレページ マラソン JA6010 新明和興業伊丹工場 撮影
推定1954年 提供関西航空史料研究会
ダグラス C-54 (R5D)
ダグラス R5D 39148 濱野博司
ダグラス R5D 56495 撮影いたみん R5D
ダグラス R5D 提供関西航空史料研究会
カーチスC-46C-46
C-46が日の丸と空自シリアルを記入しただけの状態
C-46A
カーチスC-46A 91-1138 撮影1960年頃 濱野博司 現在浜松広報館に屋外展示
2017/03/11 田中昭則さんから指摘
「航空情報別冊・日本航空機ガイド自衛隊機編」に「台湾空軍で余剰になったC-46Aを部品取りの/つもりで輸入してみると、意外に程度が良かったので新明和工業でD型規格に改造して使用した」という記述がありました。この写真は元・台湾空軍機で、日本へフェリーするに際し、青天白日マークを日の丸に書き換えて伊丹に到着した後に撮影されたのではないか?と思いますがどうでしょうか?台湾空軍機なら方向舵には青白のストライプが描かれていますし。
C-46 撮影いたみん
EC-46D 撮影1966 濱野博司
グラマンJRF-5
グラマンJRF-5 オ-9011 撮影いたみん JRF-5
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