イガテックさんから
毎日のように更新されるページを見ていて楽しみでしたし、深くてついていけないことが多々あり楽しい日々を過ごさせていただきました。また、共通の趣味の方をご紹介いただきとても感謝しています。今日の昼間 快晴で成田方面に向かう航空機が自宅上空を長いヒコーキ雲を引いて飛んでおり、もう月末で更新されなくなるのかという残念な気持ちになりました。今後はフェースブックで色々自分の意見などを書かれるのではということを楽しみにしています。いま世間でコロナウイルスが流行っておりますので健康に留意してお過ごしいただければと思います。長期間にわたるヒコーキ雲の運営ご苦労様でした。
興野博史さんから
いよいよ終わりますね。長い間本当にお疲れ様でした。私も佐伯様とは長いお付き合いをさせて頂きありがとうございました。日本航空機史上に残る立派な資料です。少しですが協力も出来たかなと思っています。これからは自分の時間を大切にお過ごし下さい。次はFacebookでお付き合いをよろしくお願いいし、最後の最後に懐かしのショットを一枚、ニュータで撮った大好きなサンサンを!
飛行浪人さんから
いよいよヒコーキ雲から引退ですね。長い間お疲れさんでした。我々写真派マニアからすれば物足りない面も有りましたが、多岐に渡った飛行機関連の資料や話題など色々楽しませてもらいました。今後も時々佐伯節の投稿を期待します。
なお、校閲部員として最後の編集に参加し、三点の訂正事項を知らせます。(ありがとうございます)
山本晋介さんから
いよいよ終了ですね。これまでの「定説」をひっくり返すような多くの写真資料等の発掘、本当にありがとうございました。かなり以前から投稿させていただきましたので多くページに様々な思い出があります。新しい管理者のもとで益々発展してくことを期待しています。
にばさんから
ヒコーキ雲も最後の日迎え、感慨もひとしおだとお察しします。公的機関で引き継ぐのは先ず無理でしょう、自ら苦労を背負い込む公的機関の人はいないと思います。
YS-11の実現に貢献した当時の運輸省航空機武器科の課長のようなヒコーキ野郎はそう滅多にいないでしょう。三菱重工がスペースジェットで苦しんでいますが、YS-11のノウハウを持っている人が、いなくなって、多数の外人を採用しているようです。それでも六度目の延期です。
ローンチカストマーのOBとして、就航したら是非飛んでみたいと一日でも早い就航を待ち望んでいる一人です。そう思いながら他界した先輩が多数いらっしゃると思うと誠に残念です。
この際ヒコーキ雲をDVDに記録して発売しては如何でしょう。全部が難しければ“DC-3の研究”など機種別のDVDでも結構です。
コメントが色々あり、思想的には・・・との意見もありますが、小生は貴兄の思想は分かりませんが、佐伯節に大いに共感しています。
外人のケントギルバートの本は、本来日本人が書くべき本だと思います。日本人が書けば、恐らくバッシングされるのが怖くてそこまで勇気のある人がいないと思われます。 外人に、こんな当たり前のことを言われるのは恥ずかしい事です。
Facebookは見ていますので、これからも佐伯節をどんどん載せてください。いずれにしても、長い間ヒコーキ雲を続けていただき、感謝です。
伊藤憲一さんから
長い間、大変お世話になり、ありがとうございました。
それからは、貴HPを最初に開くことが日常生活の一部になってしまいました。色々と勉強させていただきました。また、それまであまり見向きのしなかった保存機にも目を向けるきっかけも作って頂きましたし、埋もれていた写真にも日を当てていただきました。
酒井さんのHPにも引き続き、本名で投稿する考えでいます。佐伯さんからの投稿もまた楽しみにしております。
中国航空協会 古谷眞之助さんから
本当に、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。今となれば、佐伯さんとどういう経緯で知り合いになれたのか、もう思い出せません。でも、それはもはやどうでもいいことです。一度だけですが一緒に酒を飲み、我が家にもおいでいただき、防府の航空祭の我がクラブのグライダーにも、地上ではありましたが、ご搭乗いただき、さらにはHPに多くの拙いイラストを掲載していただきました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
いよいよ、更新最後の日となります。それこそ、多くの方がその終焉を心から惜しまれていることでしょう。私も然り。その熱意、その努力、そのこだわり、その・・・・佐伯さんのヒコーキを愛する熱い心は、「ヒコーキ雲」の読者全てに深く、本当に深く、沁みとおっていったに違いありません、かく言う私自身も。
こんなHPがあることを、我が国の航空マニアは、本当に心から感謝していたことでしょう。もちろん私もその一人でした。はるかに高いレベルの人から、私如き、ただヒコーキが好き、という単純レベルの人まで、暖かく包み込んで対応していただけたHPだったと思います。もはや、HPそのものが「航空遺産」と言っても過言ではないでしょう。
多くの方が心配されているように、毎日の更新作業の「激務」から解放された後の佐伯さんを私も心配しています。本当にお大事に、ご無理をされないように・・・。いや、激務がなくなった後のことの方が、むしろ心配しているのですけれど。ですから、これからはご近所の方々、ずっと昔のお知り合いの方々との気楽なお付き合いをどうぞ大切にして下さい。そして、ふらりと防府にもおいで下さい。できれば、再び一献傾けたいですね。
今、自分の記事、その多くは趣味としているグライダーのことですが、そして掲載していただいたイラストに改めて目を通しました。それぞれ懐かしい思い出があります。そしてそれらは、たとえレベルの低いマニアではあるにせよ、ある意味、確かな私の「記録」ではあると思いました。私のささやかな宝物です。
パソコンに詳しい友人に頼んで、昨年3月時点での「ヒコーキ雲」の全データをコピーし、パソコンとDVDに保管してもらいました。本当は今日までのデータをそうしたかったのですが、色々あってそれは無理でした。でも、それで我慢しています。そして、それで良いとも思っています。完全でなくとも、心の中に「ヒコーキ雲」はしっかり残っているからです。
佐伯さん、改めて言わせていただきます。お疲れさまでした。ありがとうございました。そして、どうぞ、お元気で。
佐伯から : たくさん頂いているメールの中から昨日一日分を抽出して代表掲載させて頂きました。ありがとうございました。
|
|
佐伯邦昭の活動歴 |
|
1962(昭和37)年 | 航空情報友の会ARC広島支部 HAC広島航空クラブ発足 |
1963(昭和38)年 | 紙機関誌の”広島航空クラブニュース No1”発行 |
1967(昭和42)年 | HACとKAPCが合併し ヒコーキの会発足 紙機関誌の”ヒコーキ雲”発行 |
1982(昭和57)年 | ヒコーキの会(JAHS)を引退 ヒコーキマニア活動から遠ざかる |
空白 18年間 | |
2000(平成12)年 | ヒコーキマニア活動復活 インターネット”日本におけるダグラスDC-3研究”開始 |
2001(平成12)年 | ”航空史探検博物館”と改称 |
2002(平成13)年 | ”インターネット航空雑誌ヒコーキ雲”と改称 |
2010(平成22)年 | 姉妹紙”ヒコーキジャーナル”誕生 |
2020(令和2)年 | ”インターネット航空雑誌ヒコーキ雲”から引退 |
|